歴代会長・名誉会員

会長挨拶(平成30年~平成31年/令和元年)

結晶学会は1950年に発足し、来年、70周年を迎えます。1947年に国際結晶学連合(IUCr)が発足し、 これに対応するために1949年に日本学術会議結晶学研究連絡委員会が組織されました。 ここでの協議を経て1950年5月13日に日本結晶学会の創立総会が開かれました。日本結晶学会設立までの経緯は、 前身にあたるX線懇談会のことも含めて「日本の結晶学-その歴史的展望-」(1989年出版)にまとめられています。 また、日本結晶学会誌の日本結晶学会50周年特集号(第42巻3号)「日本結晶学会設立の歴史を読む」 にも、わかりやすく記述されていますのでご参照下さい。

組織としての日本結晶学会の発足は、第二次世界大戦後ですが、学問としての日本の結晶学のスタートは、 寺田寅彦(1878~1935)まで遡ります(以下、先人の先生方の名前を、敬称を略して書かせていただきます)。 寺田寅彦は、ラウエのX線回折現象の論文(1912年)に接して、すぐにX線実験を行い、1913年に論文をNatureに発表しました。 (この辺りの経緯も上記の記事に書かれていますので、興味のある方は是非ご一読ください。)余談になりますが、 若い世代の方には、寺田寅彦は必ずしも馴染みがないようですが、夏目漱石と同時代の日本を代表する物理学者です。 「三四郎」に登場する野々宮先生は寺田寅彦がモデルで、大学の暗い実験室で光の圧力の研究をしています。 また、「吾が輩は猫である」には寒月君として登場します。寺田寅彦は雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎の先生でもあります。

X線に関わるテーマは、寺田寅彦から、のちに日本結晶学会の初代会長に就任した西川正治(1884~1952)に引き継がれました。 西川正治は大学院生のときに、寺田寅彦から、蛍光板上の岩塩の回折斑点が動く様子をみせられたと記しています。 寺田寅彦の助言を受けて、西川正治は結晶学に世界で初めて数学の群論を結晶構造解析に導入し、 スピネル(MgAl2O4)の構造決定を行いました(1915年)。また、渡米中(1917~1920年) にWyckoffにX線構造解析の手法を教えたそうです。日本結晶学会西川賞はこの西川正治にちなむものです。 また、スピネルの構造モデルは長く結晶学会誌の表紙を飾り、日本結晶学会学術賞のメダルにも描かれています。

ラウエのX線の回折現象の発見、ブラッグ父子のNaClの構造決定から始まった世界の結晶学は100年を経てその対象は鉱物からタンパク質まで広がり、 材料分野も含めたサイエンスの多くの分野で欠くことのできない構造決定の手段となりました。そして、日本の結晶学も、 まさに同じ歳月をたどって今日に至っています。

日本結晶学会誌の日本結晶学会50周年記念号(42巻3号)に、当時の岩崎不二子会長が「結晶学会」という名称にふれて、 「結晶学会というネーミングは研究手段の先にある科学とその応用に大きな視線が向けられており、結晶に限らず、 気体、液体、溶液、表面・界面の状態や、電子回折・中性子回折、X線分光などの分野も含まれていることも大変重要なことで、 個々の学問の専門化が深くなればなるほど広い分野を包括する学会の存在は大変貴重であり、21世紀の100年にますます発展することを 願っている」という趣旨の巻頭言を書かれておられます。 この文章にあるように、日本結晶学会は、対象も手段も広がりを持った研究者の集まりです。

この数年で、XFEL(X線自由電子レーザー)を用いた回折測定、クライオ電顕を用いた単分子解析などの研究手段が新たに加わり、 研究領域の更なる広がりをもたらしています。100年を超える歴史の上に立ち、常に新しい展開を見せている結晶学分野で、 ベテランから若い方までの活躍をサポートすべく、微力ですが、会長の責務をはたしていきたいと考えております。 会員の方からのご意見、ご協力をよろしくお願い申し上げます。また、会員外の多くの方に結晶学に関心をもっていただき、 新たに我々のコミュニティに加わっていただけることを願っております。

平成30-31年度 会長
北里大学 名誉教授
菅原 洋子