ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3
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日本結晶学会誌Vol62No3
大崎健次先生を偲んで先生は,スルファチアゾールとスルファニルアミドの分子間化合物について,三倉泰先生は,カフェインとパラニトロアニリンの分子間化合物について,解析を行いました.松下電工の草薙さんと当時助手の庄山茂先生とで,無機化合物であるK 2TeI 6の解析を行いました.Teの周りの配位8面体には歪みが見出せず,余分の2つの電子はどこか分子の対称を下げないような軌道に入っていることがわかりました.平良全栄先生は,トリエタノールアミンホウ酸塩とトリ-n-プロパノールアミンホウ酸塩を解析しました.この分子は,N原子とホウ酸のB原子との間に電子供与型の共有結合があると考えられていましたが,この研究で初めて明らかになりました.増田秀樹先生は,金属タンパク質機能構造モデルとして有機金属錯体化合物の構造解析に邁進され,安積典子先生は,ハロゲン化合物の解析を行いました.抗がん剤に含まれるフッ素などハロゲン原子は,イオンになっていない限り互いに近づく傾向を示します.これが分散力のためだとしますと,分極率の小さいフッ素原子はこの傾向を示さず,むしろ負の残余電荷のために互いに反発する傾向さえ示すことがわかりました.さて,自分で結晶構造解析をされた方ならご存じでしょうが,データ収集よりも,そのあとの計算に大変な時間がかかります.ハード,ソフト両方進歩してくれましたので,パソコンでも解析が可能になりましたが,先達の時代はそうはいきません.当時は1年のうち1/4は実験で,残りは計算です.そのため,いかに能率良く計算を行うかが大問題でした.三角関数などのいろいろな数値表やタイガー手廻計算器などを用いたりされていましたが焼け石に水でした.そのうち,アメリカの研究所ではIBM会計機を結晶計算に使っているという情報が入ってきました.昭和25年には,武田薬品の工場の会計機を拝借しテストを開始されました.その後,富士通信機製造KKでリレー計算機が開発されるとそちらでのテストも行われました.しかしながら,結晶学には向いていないことがわかり,自分たちの都合の良い計算機の設計の試みも行われました.海外では,先ほどのワイズマン研究所にあるごく初期型の電子計算機が動いており,大崎先生はそこで初めて本格的な計算を行われました.次のイギリスでは,何種類かの計算機があり,結晶計算におけるいろいろな問題について,人々の経験を聞いたりご自身で考えたりされました.ご帰国後,国内でも東大でPC-1という最初の電子計算機が稼働し始めました.当時の大阪大学でものちに大崎研の助教授となる真崎規夫先生らにより大阪ガスや三菱電機の輸入された小型電子計算機を拝借したプログラム開発が始まりました.大崎先生は,日本電気の玉川工場のNEAC-2203を拝借し計算を試みられました.当時は,TSSの思想がなく,予約した時間に機械を空けてもらっていたので,相当修行になったとおっしゃっていました.日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)数年後,Fortran言語が使えるようになり,今まで計算機ごとにプログラムを書かねばならなかったものが,ほかの計算機でも使えるようになり,計算機の向上とともにFortran以外のプログラムは次第に使われなくなってしまいました.そのため,今まで機械語で作られたプログラムの大部分は無用になってしまったわけですが,電子計算機の授業を行おうとするとき,将来の発展の可能性を考えれば,どのような内容にするのが一番良いかを考えるときに大変役に立ったそうです.このようなバックグラウンドにより,京都大学において大型計算機センターの創設よりかかわっておられ,その中でも「データベース」の開発整備に,最もエネルギーを注がれました.分子構造情報は,煩雑で昔から取り扱いが難しいものです.そのため,ほかの分野より早くデジタル化が進みました.薬学の最も重要なテーマの1つは創薬です.これら立体構造情報をベースに,ドラッグデザインを実現化するものですが,いまだに,そのロジックが解明されたとは言い難いと思います.大崎先生は「今は難問でよくわからないのだけれど,これらの情報を後世の研究者が利用できるようにしておけば,誰かが,それを使ってその難問を解くかもしれません.だから,データベースは大切なのですよ.」とよくおっしゃっていました.当時は,8ビットのおもちゃのようなマイコンが出たばかりのインターネットもスマホもない時代のことです.低分子化合物のケンブリッジ結晶構造データベースは,東常行先生らが東大ならびに京大大型計算機センターに整備され,その部分構造検索システムの開発がなされました.その後,東先生は高エネルギー物理学研究所坂部知平先生の巨大分子用ワイセンベルグカメラデータ処理プログラムWEISを開発しました.主としてタンパク質,核酸など高分子は,日本では大阪大学蛋白質研究所結晶解析センターでProtein Data Bankとして整備されていきました.今問題となっている新型コロナウイルスについて,そのワクチンや抗体医薬品の開発が急務ですが,最近シンガポールのグループが,これら抗体と抗原の複合体構造情報を403種類集めその結合機構を分析しています.これにならって,筆者も木村奈々香さんの卒業研究としてデータべースを分析し,抗原抗体複合体結合部位の水素結合に用いられるアミノ酸の種類が抗体側と抗原側で非対称になっていることを見つけました.このように,過去の結果に自由にアクセスできるデータベースにより,抗体が抗原を認識する機構が次第に明らかになりつつあります.私は,大崎先生の最後の学生で,1983年度1年足らずしかご一緒できなかったのですが,受けた影響は,やはり,最も大きかったと思っています.ご冥福をお祈りします.(謝辞)本稿をまとめるにあたり,大阪教育大学安積典子先生をはじめ多くの方々のご支援をいただきましたので,ここでお礼申し上げます.(千葉科学大学薬学部松本治)199