ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3

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概要

日本結晶学会誌Vol62No3

高圧中性子回折実験が氷多形の研究にもたらしたもの性子回折では,時間・空間的な平均構造しか得られないため,直接的にプロトントンネリングを実証することはできない.時間・空間的なスナップショットを得る直接的な手法としては,中性子コンプトン散乱があり,水素結合の強い物質であるKDPやKHCO 3などに応用されている.81-83)しかし,中性子コンプトン散乱は散乱強度がきわめて弱いため,これを60 GPa以上の高圧下で測定するのは現状では難しい.一方,BenoitとMarxは,水素結合距離の圧縮に伴って,プロトンの分布が,水素結合と平行に伸びた分布から,垂直に伸びた分布へと変化することを,第一原理分子動力学計算から明らかにした.84)これは平均構造の変化であるので,中性子回折で捉えることが原理的には可能である.2019年,Guthrieらは62 GPaまでのD 2O氷VIIの中性子回折実験の結果を報告しており,85)さらについ最近,筆者らは新たに開発したナノ多結晶ダイヤモンドアンビルセルを用いて82 GPaまでの氷VII(あるいは氷X)の中性子回折パターンの取得に成功しているが,49)このような超高圧下で測定された中性子回折パターンは誤差が大きく,観測されるピークの本数も少ないため,プロトンの異方的な密度分布を議論するには至っていない.3.4氷XII,XIV氷XIIは,1 GPa以下の低圧で出現する相でありながら,比較的最近まで,その存在が認知されていなかった準安定相である.氷XIIの結晶構造は,Lobbanらによって明らかにされたが,その空間群はI42dで,c軸に平行に5員環および7員環のチャネルをもち,相互貫入していない構造としては氷多形の中で最も高い密度をもつ.86)Lobbanらはアルゴンガス圧を用いて,0.55 GPaもの圧力で,高圧その場中性子回折を行っている.氷XIIは完全な無秩序相であるが,その部分秩序相が2006年にSalzmannらによって報告された氷XIVである.23)氷XIVは氷XIIIと同時に発表されたが,氷XIIIと同様DClをドープしている.氷XIIIが,ほぼ完全に秩序化を達成できたのに対し,氷XIVは秩序化が部分的にしか進行しなかったのは,興味深い.*83.5氷XVI氷XVIは,sII型のクラスレートハイドレートであるネオンハイドレートを一度高圧で合成した後に,低温で脱圧,さらに5日間ターボ分子ポンプで真空引きすることで得られた.25)Falentyらによるこの氷多形の合成方法は,真に革新的であり,続く氷XVII 26)や氷I c27,89)の発見にも応用されることになった.クラスレートハイドレートには,ほかにもsI型やsH型などがあり,ネオンほどの小さなゲスト分子を用いてこれらのクラスレートハイドレートができれば,そのハイドレートからゲスト分子を抜き去ることで,新たな氷多形が発見されるだろう.氷XVIは完全な無秩序相であり,対応する部分秩序相や完全な秩序相は発見されていない.3.6氷XVII氷XVIIは水素ハイドレートの高圧相C 0を低温で脱圧し,真空引きすることによって得られた氷多形である.26)氷XVIIの結晶構造は発見者であるdel Rossoによって決定され,90)P6 122とその部分群であるP3 112の2つのモデルで解析が行われたが,両者でほぼ同じ一致度となり,より対称性が高くパラメータ数の少ないP6 122が採用された.局所的には対称性が下がっている可能性もあるが,平均構造としてはP6 122は妥当であるように思われる.氷XVIIは低温で水素圧下におくことで,再び水素を貯蔵することができる.26)del Rossoらは,氷XVIIを水素貯蔵材料として利用するために,熱力学的な安定性の検討も行っている.91)また,水素だけでなく,ネオンやO 2分子を氷XVIIに入れる実験も行われ,92)ハイドレートから新たな氷を得たのと逆の発想で,氷XVIIを鋳型として,ゲスト分子を挿入することで新たなハイドレートを作る試みも始まっている.4.おわりにこの20年の高圧中性子回折技術の進展は目覚ましく,氷多形を対象とした研究についても,毎月のように新たな成果が報告されている.しかし,それでもなお19種類以上あるすべての氷多形において,多くの未解決問題が残されている.氷を研究していると,1つの問題を解決しても,解決された問題以上に多くの新たな問題が浮かび上がってくることがよくある.筆者はこれが氷研究の魅力の1つだと感じている.ところで,本稿のいたるところでKambの名前が登場したことに,読者の皆さんは気付かれただろうか.今回取り上げた,氷Vや氷VIの(部分)秩序相の発見,氷VIIの水素結合の対称化,氷が超高圧下でfcc構造をとる点,など,現在でも研究対象となっている多くの問題がKambによって指摘されているのである.また,今回誌面の都合上紹介できなかったが,氷XI,15)*9氷II,93)氷III,94)氷IV 95)の構造解析でもKambは多大な功績を残している.特に1981年に発表された氷IVに関するEngelhardとKambの仕事は,最近再び注目を集めている.EngelhardとKambは,氷IVの結晶構造を解いただ*8Kosterらは2015年に,HClをドープした氷XIIが秩序化する際の比熱を測定し,それがほぼPaulingエントロピーに匹敵することを発表した87)が,後に,このエントロピーの計算けでなく,氷I hや氷I cの構造から,わずかに変位を加え*9氷XIについては,Kambによる直接の構造解析の結果はないあったとして修正論文を発表している.88)を予想していた.は誤っており,実際にはPaulingエントロピーの60%程度でが,Kambは氷I hが秩序化するとCmc2 1の空間群をもつこと日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)195