ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3

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概要

日本結晶学会誌Vol62No3

高圧中性子回折実験が氷多形の研究にもたらしたもの表1氷多形の分類.(Classification of ice polymorphs.)OrderPartial orderFull disorder(Super)ionic-XII h--I cII--IXIII-IV*4XIIIV--XV(XIX?)*5VIVIII(VIII)*6VIIX-XIVXII--XVI--XVIIXVIII温度圧力条件において,多かれ少なかれ部分的に秩序化していることが明らかとなっている.60)したがって,氷Vの完全な無秩序状態は見つかっていないことになる.氷Vが秩序相に相転移し,その空間群がP2 1/aになることは,1974年にKambとLa Placaによって示されていたが,これは学会の発表のみで,原著論文ではなかったため,この時点ではローマ数字は割り当てられていなかった.2006年にSalzmannらは,常圧に回収した氷Vが110 K程度で秩序化すること,また秩序相の中性子回折パターンがKambとLa Placaが提示したP2 1/aの構造モデルで説明可能なことを改めて報告し,この秩序相を氷XIIIとした.23)Salzmannらの実験では,HCl(またはDCl)をドープすることで,秩序化を促進しているが,HClを添加する手法は,同論文で報告されている氷XIVや,2009年に報告された氷XV 24)においても用いられている.Salzmannらは,HClのほかに氷XIの生成にも用いられるKOHの添加も試みている.これはKOHによって氷Vが秩序化する傾向が,Handaらによる比熱測定61)からも知られていたためである.しかし,HClによる添加のほうがKOHよりも秩序化には効果が高かったようである.KOHはL欠陥やOH-欠陥を誘起すると考えられており,一方,HClはL欠陥やH 3O +欠陥を誘起すると考えられているが,ドーパントの違いがどのように秩序化の促進の程度の違いを生むのかはよくわかっていない.29,30)3.2氷VI,XV,(XIX?)氷VIは室温で水を加圧していくと最初に出現する高圧相で,その空間群はP4 2/nmcである.15,32)氷VIの秩序相については,2009年にSalzmannらが中性子回折実験の結果から,P1の空間群をもつ構造モデルを提案し,こ*4氷IVについては,水素は完全無秩序状態にあると推測されるが,中性子回折実験による構造解析は行われておらず,水素の秩序状態は未確認である.*5 3.2節を参照.*6氷VIIIは部分秩序状態でも対称性が変わらず,58)完全秩序状態と熱力学的には同じ相と考えてよいと思われる.日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)れを新たな氷多形として氷XVとしている.24,62)しかし実は,1973年の時点において,Kambは低温下で常圧に回収した氷VIの中性子回折実験から,Pmmnという空間群をもつ構造モデルを提案しているのである.15)本来なら1973年の時点で氷VIの秩序相に対し新たなローマ数字が付与されるべきであったかもしれない.氷VIの秩序構造については,複数の理論計算や誘電率測定の結果は強誘電的な水素配置を示唆しているのに対し,P1やPmmnという空間群をもつ構造からは,平均構造としては極性をもちえない.筆者らは,改めて氷XVの中性子回折実験を行い,氷XVが「いくつかの異なる“好ましい”配置が共存した部分秩序状態」にあると提案した.63)氷VIおよびXVの2017年ごろまでの研究史について64は,本誌既報)にて詳しく解説しているが,その後,氷VIの秩序相について激しい論争が巻き起こっている.発端となったのは,2017年にGasserら(インスブルック大学Thomas Loertingの研究グループ)がarXivに掲載し,65,662018年にChem. Sci.誌にて正式に発表された論文)である.彼らは,HClを添加した水を1~2 GPaの何点かの圧力で徐冷(~3 K/min)し,これを液体窒素温度で常圧に回収して,常圧で温度を変えながら示差熱分析・ラマン散乱・X線回折・誘電率の各測定を行った.その結果,従来知られていた130~140 K付近での氷XVからVIへの無秩序化に伴う吸熱反応のほかに,110 K付近にも吸熱反応があることがわかった.この110 K付近の吸熱ピークは圧力が高くなるほど大きくなる傾向があった.さらに100 K以下の温度では氷XVとは異なる単位胞体積・軸比やラマンスペクトルの特徴が見られた.Gasserらは,氷XVよりも低温に別種の秩序相があると考え,これをβ-XVと名付けた.しかし,2019年にRosu-FinsenとSalzmannはさまざまな温度圧力パスを経験した氷VIの示差熱分析を行い,そのプロファイルが温度圧力条件だけでなく,保持時間や昇温速度等にも依存することを示した.その上で,110 K付近の吸熱ピークは,ガラス化時における非平衡度の違いから生じると考えると定量的に説明できることを示した.67)彼らは非平衡度の小さい,すなわちエネルギー的に深いガラス状態を‘deepglassy state’と呼び,この概念を用いればGasserらの提案したβ-XVのような新たな秩序相をもち出す必要はない,と主張した.Rusu-FinsenとSalzmannの批判を受けて,Thomas LoertingのグループのThoenyらは,それに反論する論文を発表した.68)Thoenyらは新たなラマン散乱スペクトルの結果とともに,‘deep glassy state’の概念では,氷XVと異なる単位胞体積や軸比を説明できず,β-XVの存在を再度主張した.さらに,Thoenyの論文の後,2020年には再びRosu-Finsenらが,新たな非弾性中性子散乱および中性子回折実験から,‘deep glassy state’の存在を主張し,2つの研究グループによる論争が続い193