ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3
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日本結晶学会誌Vol62No3
田中勲白質の構造は有限である」と言われる日が来ることも予想していなかった.6.蛋白質結晶学を変えた理論重原子同形置換法はネイティブの結晶と,それに重原子を入れた重原子同形置換体の結晶の両方の回折強度から重原子の位置を決め,それを基にネイティブ結晶の位相を求める方法である.その理論を少しかじればすぐにわかるように,ネイティブ結晶と同形置換体結晶は,重原子が入っているということのほかには,構造がまったく同じであることを前提としている.蛋白質の構造はもちろんのこと,結晶の周期性(すなわち格子定数)が変化してしまうと,その前提が崩れてしまう.しかし,重原子を入れて,格子定数が変化しないことなどほとんどありえない.何とか近似的な同形置換結晶を得て,位相を計算して電子密度が得られたとしても,はじめから蛋白質の鎖を追えるような電子密度が得られることはまずない.その段階で計算機を使ってやれることは,昔は,ほとんどなかった.したがって,「その電子密度はひとまず置いておき,次の重原子同形置換体を探す」,そんな状態がずっと続いていた.きれいな電子密度が得られない理由は,非同形性から来る誤差,重原子位置の不正確さ,回折強度測定の誤差などいろいろ考えられて,つまりは,「蛋白質結晶学は誤差の大きい科学だから」と納得するしかなかった.現在の知識で振り返れば,きれいな電子密度が得られなかった理由は,ほぼ間違いなく,位相が不正確だったからであろう.この状況を変えたのは電子密度改良技術(あるいは位相改良技術)である.きっかけとなった論文はB. C.Wangによるものである(B. C. Wang: Methods Enzymol.115, 90-112(1985)).そのアイデアは電子密度からノイズを消去することから始まる.その方法は非常に簡単だが,この論文のもたらした影響を過小評価すべきではない.当時,非対称単位に複数の分子が含まれている場合,それらの分子の電子密度を重ね合わせることで電子密度が飛躍的に改良されることはよく知られていた.しかし,その方法は一般性に欠けた.それに比べてB. C. Wangの方法は,分子領域と溶媒領域との境界を(客観的に)決めた後,分子領域で負の電子密度を与える部分をゼロに置き換え,溶媒領域は一定の大きさに(平滑に)するものであり(これを合わせてnoise filteringと呼んだ),その効果は小さかったが一般性があった.その電子密度を逆フーリエ変換することで逆空間の位相改良につなぐ.こうして実空間の電子密度改良と逆空間の位相改良を交互に繰り返し行うことで,一種の精密化サイクルを回すことができた.この方法が成功を収めて以降,電子密度の改良法は,最尤法も組込みながら,さまざまな新しい方法が生み出されていき,これによって蛋白質結晶学は変貌した.同じ頃,放射光が使えるようになってMetをSe-Metに置き換えた蛋白質を使い,Seの吸収端前後の,異常散乱効果の異なるいくつかの波長で回折データを集めれば,多重同形置換法と同じ原理で解析ができることが示され(多波長異常散乱法:MAD法),その方法(Se-MAD法)が,事実上,蛋白質の汎用的解析法となるまでに,そんなに時間はかからなかった.実際,圧倒的なスピードで解析例が増えていった(I. Tanaka:日本結晶学会誌57,155-162(2015)).ところで,B. C. Wangの方法は,もともと単一同形置換法(SIR法)や単波長異常散乱法(SAD法)が,理論上もっている位相のambiguity(正と偽の2つの解を区別できないということ)を克服するための方法として発表されたものである.実際,位相改良技術を使えば,多波長データを集めるまでもなく,単波長データで構造が解けるということが徐々に認識されていった.ビームラインやその他の実験手法が洗練されたこともあって,2000年代の中頃には,Se-SAD法がSe-MAD法に代わって汎用法としての地位を占めるに至った.異常散乱原子の吸収端が通常のエネルギー領域から離れすぎているためにMAD法が使えないような場合でも,SAD法は適用できる.実際,蛋白質に含まれるS(核酸の場合はP)の異常散乱を利用して解析が可能であることが示され,その解析例も,少しずつではあるが,増えてきた.この方法(S-SAD法)は,ネイティブ蛋白質の結晶をそのまま利用できるので,そのことを強調してnative-SAD法とも呼ばれる.50年前の学生が夢見た蛋白質構造解析法が現実のものになろうとしている.7.蛋白質回折データ収集法の変遷蛋白質結晶学の発展に最も大きく寄与したものを1つ挙げるなら,それは,もちろん放射光となるだろう.80年代に第2世代の放射光施設ができ,90年代には挿入光源を備えた第3世代の施設ができ,その度にX線は桁違いに強くなった.科学の世界では,3桁違えばイノベーション(革命的変化)が起こるそうだが,X線の分野では,それが少なくとも2度起こったことになる.そのたびに結晶学は大きく変わったが,ここではX線源の発展に伴って変わっていった回折光を記録する方法に焦点をあてる.先に書いたように,1970年代初頭,蛋白質研究所には4軸回折計が導入されていたが,これは日本の研究室では例外的に恵まれた状態で,一般には,(低分子結晶の)回折データを収集するためには,X線フィルムを重ねて使う多重フィルム法が使われていた.シンチレーションカウンターを使った4軸自動回折計は,X線フィルム法より圧倒的に感度が高い.しかし,反射を1つずつ精度182日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)