ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3

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概要

日本結晶学会誌Vol62No3

田中信夫れることはよく知られている.X線回折のほうは原子核周りの電子分布のみを可視化しているので,これをデバイ因子でぼかしておけばよい.電子線の場合は少し拡がったクーロン場と,もう1つの非局在性をもちこむデバイ因子が可視化のボケの原因を作りだす.ここで,電子の散乱にとって補正項である電荷分布の情報を正確に抜き出せるかは,今後の研究の進展を待たなければならないだろう.もちろん単位胞内のポテンシャル分布は核の正電荷と周辺電子の負電荷分布とポアソン方程式でつながっているので,TEMで投影ポテンシャル分布が得られれば数値積分操作で周辺電子の電荷分布の投影を得ることは原理的には可能である.これはモット(Mott)の式として知られるものである.しかしここに温度因子が既知であることが必要になる.ナノ電子回折や電子顕微鏡を使って原子周辺の電荷分布の詳細情報を得るには,局所局所の温度因子の問題を避けて通るわけにはいかない.4.非弾性散乱波を使ったTEM像昨今の半導体ピクセル検出器の進歩により弾性散乱波の1/10~1/100以下の強度の非弾性散乱波を使っても,原子レベルの電子構造の解析や,元素分布や物理状態分布のマップが得られるようになってきた.非弾性散乱に伴う損失エネルギーを弁別したフィルター像はTEM法とSTEM法で可能であるが,原子レベルのマッピングは最近はSTEM法でなされている.ここで本質的に問題になるのが,STEMの0.1 nm以下の電子プローブで試料の局所を励起したときに,それによる二次散乱過程を作りだす空間広がりの大きさである.2)これは1980年代から研究されているが,損失エネルギーが大きくなればその局在性は増す(Egerton).古くはBetheの研究もあるが,例えばシリコンのL 23吸収端を使った結像だと0.6 nm程度の拡がりとなる.STEM-EELSを使った原子コラム組成マッピングだと,チャネリング(多重回折)効果により非弾性散乱電子もコラム直下で局在していることもある.原子レベルの非弾性散乱の局在性を実測するためには,適切な試料構造を選ばねばならない.電子線の非弾性散乱過程はX線の放出を伴っても起こる.このX線エネルギーを解析するとEELSと対照的に試料のエネルギー始状態の情報が得られる.これまではエネルギー分散型分光器が主流であったが,寺内らはTEMにも使える波長分散型分光器を開発して分解能80 meVを実現した.3)5.高速電子線による格子振動の研究2015年以後のEELSにおける大きな進展は,エネルギー分解能が数meVにまで小さくなったことである.これまでのEELSのエネルギー分解能は電子銃からの放出電子のエネルギー幅である0.2 eV程度であったが,STEMの電子銃の後にエネルギー単色器をつけることによって数meVが実現した.実験のプローブ径はまだ原子コラムレベルにはなっていないが,有機結晶のフォノンモードの分別ができるところまできている(Rez).また明確な晶癖がある結晶中の種々のプラズモンモードの局在化がその持続時間も含めて可視化されている(Batson).また運動量空間を分解してのEELSも標準的に行われている.このような高エネルギー分解能の測定は1970年初頭にGeigerらによってすでに行われているが,そのときは入射電子波が広い平面波だった.これが数nm程度のSTEM電子線プローブを励起源として得られているところに大きな進展がある.6.パルス電子線を使ったTEMの進展TEM観察で残っている測定パラメータとして時間軸がある.これまでは高感度TVのフレームを1/60秒からさらに短くする試みが種々なされてきた.近年は放出電子線をパルス化して,この時間間隔に同期させて種々の測定をする「パルス電子回折および顕微鏡法」が開発されている.この領域で大きな成果を残したのはカルフォルニア工科大のZewailである.彼はこの技術をTEM観察にも応用しパルス電子線を使って炭素ナノチューブの励起の軸方向への伝播をEELSを使って測定している.またローレンスリバモア研究所のグループは,単発型のパルス電子で金属薄膜内のnon-reversible現象を観察している(LaGrange).日本では名大,京大,阪大を中心として装置開発が進み,加速電圧が30 kVから1,000 kV以上の超高圧のパルス電子回折装置が存在する.単発型の場合,高倍率像を得るためには明るい照射が必要で,1つのパルスに多数の電子を詰め込む必要がある.そうするとクーロン反発効果で個々の電子のエネルギー幅が広がってしまうという隘路に遭遇する.したがって弱い照射を繰り返し行い,順にS/Nのよい像を得るというポンププローブ型の方法が標準的である.これには現象が励起光などによって高速でreversibleでなくてはならない.7.スピン偏極電子線を使ったTEMの開発パルスTEMでユニークなものは名大の桑原らによるスピンが90%以上偏極したパルス電子によるTEMである(図2).4)電子源は高融点金属の針ではなくGaAs/AlAs系歪超格子の平面状結晶を使っている.ただし偏極した電子のスピンと試料中の磁場ベクトルとの相互作用は通常のTEMで使う静電場との相互作用と較べ格段に小さく,偏極スピン電子を用いて原子レベルの磁化分布像を176日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)