ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3

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概要

日本結晶学会誌Vol62No3

日本結晶学会誌62,169-174(2020)70周年記念ミニ特集(1)歴史編X線と中性子による構造物性研究の変遷―この50年を振り返り―東北大学名誉教授野田幸男Yukio NODA: History of Structural Science by X-ray and Neutron Technique ?Based onPersonal 50-years History?On the 70th memorial year of the Crystallographic Society of Japan, I will give the history of thesector of structural physics based on 50-years personal history. Special attention is paid for the recenttrend of the methodology and equipment of this field.1.結晶学会50周年記念からさらに20年今年は日本結晶学会発足70周年です.個人的にはほんの少し前のつもりでしたが,2000年の結晶学会誌に日本結晶学会発足50周年記念号の特集を組んでからもう20年も経ってしまったことに少し愕然としました.この50周年記念号には編集委員長としてかかわり,長い準備期間と多くの諸先輩方との打ち合わせの末に完成したものでした.50周年記念号を発行した経緯や想い,1)あるいは結晶学会の2前史)などはすでに十分書いたつもりですので,自分では執筆しなかった研究に絡んだことを今回は書かせていただきます.特に,各分野の先生に50年間の学問分野の変遷や装置の発展,そして未来展望までをも語っていただいた責任者として,今回は構造物性という限られた分野ですが,それなりのことは責任を果たしたいと思っています.私が構造物性研究にかかわりだしたのが1971年の修士入学ですのですでに50年です.そして,20年前と言えば千葉大学から東北大学に移った頃でした.これら個人的節目の頃は,X線や中性子の回折実験装置が大きく変貌した時期でした.本記事では,個人史的な側面も含めて50年を振り返り,日本結晶学会発足50周年の少し前までの20年間の様子と,最近の20年間の進展について述べたいと思います.2.写真法からコンピュータ制御へ修士の学生として50年前に大阪大学山田安定先生の下で研究を始めたのは,X線回折実験が写真法から回折計測定法へと変わったときでした.と言っても,すべて手動ですので,ガラス工場で作ってもらった窒素ガス吹き付け装置の液体窒素のお守りと,ゴニオの角度を手で回すのと,計測値をノートに記録するために一週間の徹夜は当たり前のことでした.一方,中性子の世界では日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)徐々にコンピュータ制御の装置が当たり前になりつつありました.その理由は,中性子に適切な写真法がなかったことと,原子炉内での被曝軽減の意味もあり,さらに装置の価格がX線よりも元々遙かに高額なので世界的に自動化が進められていました.X線装置もその頃にコンピュータ制御の四軸回折装置が商品化されましたが,普通の研究室では手に入る装置ではありませんでした.私が修士論文のために初めて使ったコンピュータ制御の装置も中性子で,東海村の原子力研究所の研究用原子炉(Japan Research Reactor)JRR-2に設置されていた東北大学理学部石川研の装置TUNSでした.日立のHITACミニコンで制御された三軸非弾性散乱装置で,立ち上げプログラム(IPL)としてディップスイッチで数十ステップ手入力してから,短い紙テープで「プログラム読み込みのためのプログラム」を読ませて,次に紙テープで主プログラムを読ませます.数十kB程度のコア-メモリーだったと記憶しています.神木さんが神業的なプログラムを書いていて,逆格子で入力すると角度を計算してくれて,その角度へ自動で動いて測定してくれるという優れものでした.多分,読者の方にはそのありがたみがわからないと思います.サインの値も丸善の本の表から書き取って計算する時代で,関数電卓がやっと出だした時代です.阪大の実験室での測定では,シャープのコンペットに展開式を入れてサインの計算や回折角度計算をやらせていました.これは森さんが物性研のプログラム電卓の取り扱い説明書から写してきたものです.しかし,時代は大きく変わりつつありました.1974年頃に山田先生が科研費でX線用の一次元位置敏感型比例検出器(PSPC)を開発することになり,3)理学電気に開発依頼をして商品化一号機が納入されました.と言っても,納入後の半年間は阪大教養部の実験室に理学電気の間瀬さんが常駐して調整をしていました.そのときに,PSPCの原理や調169