ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No3

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概要

日本結晶学会誌Vol62No3

SPring-8のそばから見た化学結晶学の最近の歩み4.粉末未知結晶構造解析の発展と結晶相反応の解析,新しい有機化学の発展4.1有機固相反応と有機結晶部会の誕生1980年代後半,愛媛大学の戸田芙三夫らは,2種類の有機化合物の粉末結晶を乳鉢で混ぜ合わせるだけで化学反応が起こり,溶液で得られるものとは異なる生成物が得られることを見出し,新しい有機固相反応の化学を確立した.この戸田らの研究や大橋裕二の結晶相反応の研究などが注目され,科学研究費補助金の重点領域研究「分子性結晶の反応の解析と制御」(代表:大橋)が1988年から3年間採択された.さらに,1994年から3年間,「有機結晶環境下での反応設計」(代表:戸田)が採択され,広い分野の研究者が結集して「有機結晶を利用する化学」が推進されることになった.この後,1997年3月には日本化学会に「有機結晶部会」が誕生し,今日に至っている.4.2粉末未知結晶構造解析の発展とその利用研究固相反応が起こると単位格子の形や体積が反応前後で大きく変化して粉末化するため,粉末X線回折法を用いた未知結晶構造解析への要求が高く,1990年代後半より急速に発展した.有機化合物のような分子性結晶では,比較的格子が大きく対称性が低いため,粉末回折パターンが複雑となって回折点の分離が難しく構造解析が困難であるとされてきた.1990年代後半になると,実空間法と呼ばれる構造決定法がK. D. M. Harrisらによって提案され,未知結晶構造解析のハードルを下げた.また,同時期には放射光を用いた高分解能X線回折計の利用や実験室系でも高分解能な粉末X線回折計の利用が可能となり,計算機の能力が大幅に向上したこともあり,粉末未知結晶構造解析の利用が一気に広がった.植草秀裕と藤井孝太郎らは,粉末未知結晶構造解析法を利用して,単結晶化が困難なペプチド化合物の構造解析,結晶相での光化学反応の解明,医薬品の脱水・水和に伴う転移挙動の解明,溶媒蒸気による結晶の転移現象の解明,固体同士の混合によるメカノケミカル反応の解明などの研究を行った.13)固体中で起こる化学反応は,分子の配置が固定され,その動きも制限されるため,溶液とは異なる反応生成物が高い選択性で実現するなどの特徴があり,戸田らのメカノケミカル反応の研究以降,広く研究されてきた.結晶中で進行する化学反応は,結晶の崩壊を伴うことが多いため反応直後の結晶構造を調べることが難しい.しかし.粉末未知結晶構造解析により反応後の結晶構造を決定することにより,反応メカニズムの情報が得られている.また,藤井らは,酸化物イオン伝導体BaNdInO 4の構造を放射光X線および中性子回折データを用いた粉末未知結晶構造解析により決定している.14)中性子回折実験はJ-PARC iMATERIAにて行っている.X線回折では日本結晶学会誌第62巻第3号(2020)電子数の少ない酸素の位置決定が困難であったが,中性子回折からは酸素のわずかな変位を決定することに成功しており,X線と中性子の相補的な利用の成功例であろう.5.結晶および結晶格子という環境を利用した新しい化学分野の発展5.1 多孔性配位高分子錯体を用いた小分子の取り込みと反応合成化学等の研究者で,結晶化学に関連した革新的な研究成果を挙げている研究者も最近は目立ってきた.金属錯体を骨格構造とする多孔性配位高分子の研究で大きな成果を挙げてきた北川進らのグループもその1つであろう.彼らは,久保田佳基らと共同で,2002年にSPring-8の粉末回折ビームラインを用いてナノサイズの結晶空間内に吸着した酸素分子の構造を粉末X線回折法を用いて世界で初めて決定するなど多くの成果を挙げた.15)さらに植村卓史らは,多孔性金属錯体のナノ空間を重合反応場として利用し,ビニルモノマーのラジカル重合などの高分子重合反応の制御などを行っている.16)5.2 結晶性分子フラスコを用いた不安定化学種の構造化学結晶内で起こる化学反応を単結晶X線構造解析法を用いてリアルタイムに追跡する研究は,大橋裕二らにより世界をリードする形でこの40年ほど行われてきた.1)河野正規は大橋らと共同で,ラジカル,カルベン,ナイトレンなどの化学的に興味深い反応活性種の単結晶X線構造解析に成功した.17)河野らは,当初実験室系の二次元検出器と窒素吹き付け低温装置を用い,さらにSPring-8の低温真空X線カメラを用いて低温でナイトレンの構造解析に成功した.17)河野は,X線回折による分子構造のその場観察をより一般的な手法にするために,結晶性ネットワーク錯体の細孔をナノサイズのフラスコとみなす結晶性分子フラスコという概念を提案した.17)これにより,光反応のみならず,試薬をゲスト交換により結晶に導入することにより,化学反応の直接観察まで可能になった.大津博義らは,結晶性分子フラスコを用いて,化学的に不安定な小硫黄分子S 3を選択的に捕捉し,粉末X線構造解析により構造決定に成功した.18)5.3結晶スポンジを用いた微量化合物の構造解析単結晶X線構造解析法の進歩により分子構造が迅速に容易に決定できるため,合成化学においても重要な分析手段となっている.しかし,すべての化合物が結晶化するという保証はなく,結晶化に要する時間やサンプル量も予測が困難である.藤田誠らは,結晶化の過程をまったく必要としない結晶スポンジ法という,新しい結晶作製法を2013年に発表した.19)この方法では,結晶ス167