ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No2

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概要

日本結晶学会誌Vol62No2

神谷信夫際の座標変換によっており,その標準偏差は,0.03 MGyと0.12 MGyの構造で同じ位置にあるモノマー間(図4bとc参照)では0.04 A程度であった.これをOECの結合距離誤差の下限値として,上記のDPIに基づく上限値との間で中間値(0.1 A)を求めて結合距離の誤差とすることとした.図5は,同様にして0.03 MGyの2つのOECを重ね合わせたものであるが,5個の金属原子にはほとんど動きが見られないのに対して,Ca-O1,Mn3-O3,O4-W6の距離には0.3 A程度の違いがある.上記のOECに対する結合距離誤差の見積もり0.1 Aを正規分布の標準偏差とすれば,これらの違いはいずれも3σのレベルで99.7%の信頼度があることとなり,2つのOECの構造が確かに異なっていると判断することができる.さて2つのOECは,結晶の非対称単位を構成している2個のモノマーの分子内部にあって表面から遠く隔たっている.したがって2個のモノマーのパッキング環境の違いはOECにはほとんど影響しないはずであるが,それにもかかわらずオキソ酸素の位置が変化していることは,OEC構造の本質的な柔軟性を反映していると考えられる.またこの結果を逆に見れば,PSIIの酸素発生機構に現れる反応中間体(S0~S3状態まで,遷移状態にあたるS4状態を除く)でOECの金属原子はほとんど動かず,またオキソ酸素の構造変化も0.3 A程度と小さなもので,1 Aを超えるような大きな変化は起きにくいと考えられるかもしれない.OECに起こるのはMn原子の価数変化であり,例えば5配位から6配位への配位構造の切り換えはあり得るものの,ADPRaseのGlu82に見られたようなアミノ酸側鎖の大きなコンフォメーション変化は期待しにくいためである.なおわれわれはこの研究に引き続き,0.12 MGy以下の低いX線照射量でpHに依存したOECの構造変化を追跡し,2つのOECが異なる挙動を示すことを確認している.また最近,Mn原子の異常分散効果を利用してOECの4個のMn原子の価数を決定したところ,2つのOECでS状態が異なっていることも明らかにすることができた.5.おわりに本稿では,はじめに,タンパク質の結晶構造解析がこれまでの生命科学と構造生物化学の発展に大きく寄与してきたことを述べた.その輝かしい成果は,すでに十万件を超えているPDBへの構造情報の蓄積として記録されている.しかしながら1970年前後から15~20年間の黎明期について考えると,タンパク質の結晶構造解析の現在の隆盛を簡単には予想できなかったように思われる.黎明期においては,タンパク質試料の調製と結晶化には多大な労力を要した.幸運にも結晶化に成功しても,それに続く回折強度の測定や初期位相の決定,結晶構造の精密化のそれぞれの過程でも,結晶化と同等の高い壁を越えなければならなかった.1990年前後から始まった放射光科学の進展を含むさまざまな技術開発により,その後の状況は格段に改善されて現在に至っている.この間上記のような多くの困難をそれぞれ克服してタンパク質の結晶構造解析を発展させてきた原動力とは,そもそも,いったい何だったのだろうか?この問題に対する回答は人それぞれで異なるであろうが,筆者としては,単位格子の並進対称によって成り立っている結晶を対象とした構造解析であれば,信頼性の高い構造情報が得られる,という20世紀初頭から積み上げられたX線結晶学に対する信頼感が,これまでの歴史の流れを作り出してきたのではないかと考えている.タンパク質の構造情報は,現在ではNMR法からも得られ,すでにPDBに一定の貢献をしている.NMR法は溶液試料を対象としており結晶化を必要としない点では有利である.しかしながら,対応可能な分子量に2万程度以下というかなり強い制限があり,誤差の大きいNOEの距離情報に基づくため構造の信頼性の点では結晶構造解析に及ばない.また最近では電子顕微鏡による単粒子平均法の進展が著しい.これも結晶化を必要とせず,分子量が100万を超えるような超巨大集合体の構造解析に威力を発揮するものと期待されてされている.ただし,回転平均に基づいて得られた構造情報の精度がどの程度になるか,それを見極めるためには今しばらくの時間を要する.本稿ですでに述べたPSIIは,モノマー当たりの分子量は35万で19~20種類の異なるサブユニットが会合した複合体であり,結晶の分解能を当初の3.7 Aから1.9 Aまで改善するために多大な労力を必要とした.しかしいったん1.9 A分解能の結晶構造解析に成功すれば,その原子座標の誤差はDPIで0.1 Aの程度で,信頼性の高い構造情報を提供することができる.今後しばらくすると,PSIIに対しても電子顕微鏡の単粒子平均法から得られた結果が報告されるかもしれないが,その構造の信頼度がいかほどになるか,興味がもたれるところである.最後に,結晶構造解析と電子顕微鏡による単粒子平均法の間で,平均される分子の数について考えてみる.平均直径が100 Aのタンパク質が空間群P1で結晶化したとすると,結晶の有効体積(100μm)3に含まれる分子の数は10 12個に及ぶ.一方,電子顕微鏡による単粒子平均法で平均される分子の数を100万(10 6)個とすると,結晶構造解析で平均される分子の数は電子顕微鏡法の実に100万倍となる.10 12個とか100万(10 6)個のうちには完全には同一・均一でないものが含まれているはずであるが,その数がいかほどになるのかは不明である.しかしながら,いずれにしろこのような大数の領域でも,平均される分子数が100万倍も違うということであれば,信頼性の点で結晶構造解析のほうが有利であろう.最後に筆者は,生命科学に占めるタンパク質の結晶構104日本結晶学会誌第62巻第2号(2020)