ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No2

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概要

日本結晶学会誌Vol62No2

生命科学の飛躍のために一層深まるタンパク質結晶学の役割~X線結晶構造解析と構造生物化学図1 M1の錯体形成とADPRの構造変化.10,11)(Bindingof M1 and structural change of ADPR.)配位結合距離はA単位.離の標準偏差は0.2 A程度で,分解能1.1 Aで決定された構造のDPIから計算された値(0.05 A)と比較すればかなり大きい.しかしながら,制限構造の影響を受けていない生の電子密度図から歪みの少ない8面体型の配位構造を見てとれることは,この部分の構造の信頼性を保証していると考えられる.なお本研究では,構造精密化の過程で分解能を上昇させるごとにコンポジットオミットマップを計算し,その都度,電子密度図との一致を確認した.また,異なる反応時間の間で計算される同型差フーリエ図は参照していない.この同型差フーリエ図は,重原子多重同型置換法による初期位相の決定でよく用いられるが,さまざまな差フーリエ図の内で最も信頼性の低いものである.一方図2は,3成分が混在した反応時間15分の構造からESMM状態のM2周りの構造を描いたものである.この場合は,図1と同程度の信頼度で電子密度分布が現れたのは,ADPR*のα位の酸素原子とGlu82(ESM状態になるとコンフォメーションが変化して,側鎖が分子の内部から反応キャビティの側に現れる)のカルボキシル基の酸素原子,1個の水分子(W3)の酸素原子の3個のみ(||Fobs|-|Fcalc||を係数とする差フーリエ図にピークが現れても電子密度が有意でないものは排除した)で,8面体型の配位構造を明確にイメージすることはできなかった.これはESMM状態が,加水分解反応の直前の状態に相当し,直ちにダイナミックな遷移状態を経て生成物に変化するためと考えられる.すなわちM2に配位した水分子(図2では仮想的なものとして大きなシアンの球で表した)が,Mn 2+イオンの高いルイス酸性により脱プロトン化されて水酸化物イオンとなり,それがADPR*のα位のリン原子を求核攻撃してADPRを加水分解すると想定することができる.すでに書いたように,結晶構造解析は,まったく同一・均一な単位格子の構造を結晶の並進対称により平均化して調べるものである.そのためダイナミックな遷移状態にある化学種の構造情報を明日本結晶学会誌第62巻第2号(2020)図2 M2と求核性水分子の活性化サイト.10,11)(M2 bindingsite and activation site for nucleophilic water molecule.)シアンの球は求核性水分子のサイトを推定して描いた.配位結合および水素結合距離はA単位.ESM状態で現れるGlu82のディスオーダー構造(紙面手前と奥)には対応する電子密度図を重ねて示した.編集部注:カラーの図は電子版を参照下さい.らかにすることは本質的に不得意であると言わざるを得ない.タンパク質の結晶構造解析では,酵素の反応過程を追跡して反応機構を明らかにすることができる.しかしながら,反応のクライマックスとなる遷移状態については,現状では計算化学に依存するところが大きい.この事情は産業界で進められている新薬の開発でも同様と思われるが,筆者としては,タンパク質の結晶構造解析から得られた構造情報をPDBに登録する際には,電子密度がない,あるいはその信頼度が低いところに置かれたままのモデルは除去する,またできるだけ妥当な誤差を明示するなど,構造情報の信頼性を確保する必要があると考えている.というのも,PDB構造は,酵素やシグナル受容体タンパク質の量子化学計算や分子動力学計算の初期構造として,そのまま利用される場合が多いためである.計算化学では一般的に,PDB構造に水素原子を追加して初期構造モデルを最適化する.しかしながら,例えば上記のADPRaseについて,6個の水分子を配位したMn 2+アコイオンを制限構造として用いて得られた構造情報が登録されていたとすると,構造の信頼性が疑われる場合もあり得る.このような場合でもこれまでは,独自に構造を検討して計算の初期構造モデルを構築することは,おそらく行われていなかったであろう.そのようにも結晶構造解析の結果は,関連する研究者から疑う余地のないものと考えられてきたのである.4.光合成・光化学系Ⅱの結晶構造解析光合成は,太陽光のエネルギーを利用して,地球上のほとんどすべての生物の栄養源となる炭水化物を合成している.その初発過程を担う光化学系Ⅱ(PSII)は,酸101