ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No1

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概要

日本結晶学会誌Vol62No1

藤堂眞治,常行真司R =∫| I (θ; R) ? I (θ)| dθcalc∫exp| I (θ)| dθexp(1)が挙げられる.ここで,I calc(θ;R)は原子配置Rから理論的に計算されるX線回折パターン,I exp(θ)は実験で得られたX線回折パターンを表す.しかし,このR因子も,2つの原子が同じ場所を専有した状態など非常に多くの局所最適点をもつため,原子間の有効的な斥力など何らかの正則化項を導入することが必要である.15),16)さらに,回折強度が弱い,解像度が低い,バックグラウンドノイズが多い,測定角度が限られているなど,実験による回折データが不十分な場合は,構造予測はさらに困難となる.シミュレーションと粉末X線回折パターンからの結晶構造予測の両者に共通するのは,どちらも順方向の計算(原子配置からの全エネルギーや回折パターンの計算)は比較的容易であるが,逆方向(全エネルギーや回折パターンからの構造予測)は非常に難しいという点である.このような順問題と逆問題の非対称性は,結晶構造予測に限らず,幅広い分野において普遍的に見られる課題である.最近われわれは,X線回折実験データとシミュレーションの「データ同化」による,結晶構造予測のための新しいアプローチを提案した.17),18)この手法では,シミュレーションにより計算される全エネルギーとX線回折パターンとの一致度から定義されるハイブリッドコスト関数を最適化する.性質のまったく異なる複数のコスト関数を組み合わせることで,実験データが不十分で従来の構造解析を行うことができないような場合においても,結晶構造予測の精度を大幅に向上することができる.本稿では,「データ同化」の考え方について簡単に触れた後,SiO 2の17)多形の結晶構造予測への適用例を紹介する.また,複数のコスト関数を同時に最適化す18るための新しい最適化手法)についても解説する.2.データ同化とは?「データ同化」は気象・気候のシミュレーションにおいて最初に導入された考え方である.19)気象予測(天気予報)は年々正確になってきているが,この精度向上においてもシミュレーションは大きな役割を果たしている.現代のスーパーコンピュータを用いると,非常に細かな空間メッシュで長時間のシミュレーションが可能となる.シミュレーションには,正確な初期条件や境界条件(ある時刻における温度や気圧,風速など)が必要であるが,すべてのメッシュ上の初期条件を正確に知ることは原理的に不可能である.加えて,気象シミュレーションの数理モデルは,初期条件やモデルパラメータに非常に敏感であり(バタフライ効果),わずかな不確定性が計算結果に大きな誤差を生じる.一方,実際の観測データは,それぞれの測定点において時々刻々と変化する物理量を正確に測定することができる.しかしながら,シミュレーションで用いるメッシュと比較すると,観測可能な点の数は非常に限られている.これらの性質や精度のまったく異なるデータを組み合わせることで,初期状態やシミュレーションモデルのパラメータにおける不確定性を減らし,気象予測の精度を高める数理的手法がデータ同化である.データ同化の本質は,ベイズ推定に基づく統計的機械学習にある.まず,条件付き確率に関するベイズの定理py ( | x) p( x)px ( | y)=(2)py ( )を考える.式(2)において,分母は単なる正規化定数であるので,しばしば省略される.ベイズ統計では,この条件付き確率の式を以下のように解釈する.xは初期条件やモデルのパラメータなどの未知パラメータを表す.ベイズ統計では,xは確定した値ではなくある分布に従って変動する量として考える.yは観測データであり,ベイズ統計ではすでに確定したものと考える.右辺のp(x)は事前確率と呼ばれる確率分布であり,未知パラメータに関するわれわれの何らかの事前知識を表す.次に,p(y|x)は本来,初期条件xからのシミュレーションにより物理量yが得られる確率を表すが,ベイズ推定ではyはすでに確定した観測データであるので,xの関数と解釈する.尤度と呼びl(x|y)とも書く.事前分布と尤度の積で与えられるp(x|y)は,観測データyが得られたときの初期条件xの確からしさを示す確率分布であり,事後確率と呼ばれる.このように,事前確率に尤度を掛けていくことで,一般的にはより鋭い事後分布が得られることになる.言い換えると,観測により追加の知識が得られることで,未知パラメータxに関する不確定性を減らすことができる.3.結晶構造解析への適用前節で説明したデータ同化の考え方を,結晶構造解析に当てはめてみよう.われわれの知りたい量(未知パラメータ)は,結晶構造における原子配置Rである.超格子に含まれる原子の数をNとすると,Rは3(N-1)次元のベクトルである.まず,Rの事前分布として,シミュレーションで得られる全エネルギーE(R)を用いて,exp[-βE(R)]の形を仮定する(βは不確定性の度合いを表す定数).この事前分布は,全エネルギーが最小となる点で最大確率をとるが,それ以外の多数のエネルギー準安定状態においても極大をとる多峰分布となっている.一方,測定値yは,実験で得られたX線回折データI exp(θ)である.尤度p(I exp(θ)|R)は本来,Rが与えられた下でI exp(θ)が得られる確率として定義される.この確率分布は,Rから理論的に計算される回折強度I calc(θ;R)の近くで大きな値をとる分布であるべきである.したがって,I exp(θ)とI calc(θ;R)の「近さ」を表す何52日本結晶学会誌第62巻第1号(2020)