ブックタイトル日本結晶学会誌Vol62No1

ページ
42/80

このページは 日本結晶学会誌Vol62No1 の電子ブックに掲載されている42ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

日本結晶学会誌Vol62No1

石井真史,上杉文彦,小澤哲也図1従来法による標準セメント(SRM 2686a)の解析.(Conventional analysis of a standard cement sample,SRM 2686a.)ある.セメント(クリンカー)の原料は大きく分けてAlite(C 3S),Belite(C 2S),Aluminate(C 3A),Ferrite(C 4AF)の四成分である(本論文では,これを「主要四成分」と呼ぶ).これらは水和速度,強さ,水和熱,化学的抵抗性,乾燥収縮性状などに異なる特徴をもつため,セメントの用途に従って混合比を調整する必要がある.5)さらにこれらの主要四成分は作製条件によって結晶性に差が生じ,同種の成分に属していても厳密には異なる回折パターンをもつ.さらに主要成分以外にもセメントの産地固有の鉱物が混入し,また最近のエコセメントでは,産業廃棄物,スラグ,灰などが混ぜ込んであり,それら微量成分の回折も当然混ざってくる.こうした複雑な成分をもつセメントのX線回折パターンから,混合成分を手軽に決定することへの期待がある.ここで,前節で述べた解析現場の声を,実例をもとに掘り下げてみる.図1の赤線はX線回折のエキスパートが数時間かけてフィッティングを行った結果である.この解析時間が示すとおり,セメント用にプレスクリーニングした物質(90種)から5つ(主要四成分+不純物一成分)の候補を選び出し,計算により結晶パラメータを決定する作業は容易ではなく,結果の一意性も保証されない.しかし黒線の実測結果から求まる残差二乗和(図1上)は5.0×10-6であることから,一般的には信頼に値するものと認知される.2.2公知情報を使った客観・高速解析2.2.1高速解析これに対して,われわれは図2に示す方法により客観・高速解析を行った.上記の従来法と同じ90種のセメント成分について,X線回折ライブラリを公知情報から作成する.これらを基底関数とみなして,実測データを非負最小二乗法(NNLS,Non-Negative Least Square)6)を使って線形回帰を行う.このタスクを数学的に書き下す図2データベースとNNLSによる客観・高速解析法.(Objective and rapid analysis using database andNNLS.)4ならば,ライブラリのデータ群(基底関数)をx,成分比4をa,計測データをY ?obsとすればx? ? a?= ?(1)Y obs44のa(ここでa>0)を求める線形回帰の問題に帰結できる.この問題を解く方法としては,NNLS以外の方法,例えば特異値分解(SVD,Singular Value Decomposition)といった,誤差二乗(フロベニウスノルム)を最小にする成分を抽出する近似解法も考えられる.7)この手法は特異値が小さいものを0とすれば,基本的に主成分回帰(PCR,Principal Component Regression)と等価である.SVDやPCRのように分散最大を基準にした座標変換による成分特定は,主成分を決定する際に安定解をもたらす点で優れており,応用例も多く示されている.8)一方で,同じ材料でも生成法の違いによる結晶性のわずかな差を有意と捉え,また微小成分を含めて全混合成分を客観解析する今回のタスクにおいては,主成分を縮退させるSVDやPCRよりNNLSがより適していると思われる.このように,最良の回帰のアルゴリズムをどのように定めるかは,本来はX線検出器の物理的な特徴(量子ノイズがポアソン分布であるなど9))も含めて考察する必要があるが,その詳細な議論は紙数の都合,他所で行うことにし,数理的一般論として客観性と高速性を議論する.今回のNNLSは,90の基底関数を使って観測データの全6001点(2θの範囲:10~70度0.01度ステップ)を回帰する6001×90のマトリクス演算となるが,最近ではごく普通のノートパソコンで解いても一秒とかからない.プログラムはMatLabによる検証を行いつつPythonで自作した.得られた結果が図3の青線である.黒線は図2の実測結果を再掲した.残差二乗和は2.0×10-5となり(図3上)従来法の4倍程度に悪化したが,圧倒的な解析速度の高速化は,セメントの成分解析に要求される解析精度を考えると,本手法が十分実用的な手法となる根拠となる.36日本結晶学会誌第62巻第1号(2020)