ブックタイトル日本結晶学会誌Vol61No2
- ページ
- 72/88
このページは 日本結晶学会誌Vol61No2 の電子ブックに掲載されている72ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 日本結晶学会誌Vol61No2 の電子ブックに掲載されている72ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
日本結晶学会誌Vol61No2
日本結晶学会誌61,138-140(2019)渡邉信久君を偲んで2019年3月27日名古屋大学訃報のE-mailを受け取りました.「名古屋大学シンクロトロン光研究センター教授渡邉信久さま(享年58歳)におかれましては平成31年3月26日(火)にご逝去されましたので,ここに謹んでお知らせ致します.」渡邉信久君は几帳面であり,何時も自分のことより人の立場を優先して考える,私が安心して任せられる,良き弟子でありかつ共同研究者でした.私より27歳も若いのに,なぜ君は冥途に旅立ったのだ.悔しい,悲しい!虫の知らせとよく申しますが,今年の3月中旬から幾度か胸に圧迫感を感じるようになり,3月26日に行きつけの町医者から狭心症の可能性が指摘され大学病院で診察を受けるための紹介状をいただきました.君の悲報を受けたときは,それまでよりも激しく胸が締め付けられ,到底名古屋まで行ける状態ではなくなっていました.そして28日午前3時遂に救急車で筑波大学病院の救急センターに運ばれ,冠状動脈にステントを入れる手術が無事完了したのが28日の11:55でした.ちょうど君の葬儀中でした.迷信的で科学者のいう言葉ではないですが,今回君が私の命を救ってくれたような気がします.渡邉信久君ありがとう.ことの始まりは昨年3月9日のメールで本人から発病の状況を次のように知らせてきたことにあります.「病院嫌いの私が微熱しかないのに5日に近所の内科に行ったのが奇跡的ですが,一週間遅かったら,かなりまずかったそうです.その時点で白血球が20万を超え,逆に血小板は2万くらいまで減少していたそうです.そのため赤い点状の出血斑ができるのですが,首や足に点々とあるので,何か変だなとは思ったのですが,微熱だし腰が痛いくらい平気だったので,近所の内科に行ってみた最大の理由は,実は7日に研究費の新学術領域関係の会議があったのでもしもインフルエンザだと出席してはまずいから確認しておくか,というのでした.溶連菌が出たので内科の先生も溶連菌で紅斑が出ることもあるかなあと言いながら,一応血液検査しますかと検査しました.こっちはインフルエンザでなく溶連菌だったので,そのまま出勤したのですが,夕方,その内科から家内に「緊急入院!」って連絡があって急ぎ帰宅,でも夜に救急で行けと言われた藤田保健衛生大学病院じゃ血液内科は満床で受け入れ無理ということで,翌日名大2013年8月17日『坂部先生の傘寿をお祝いする会』をアイリス愛知で開催してくれたとき(渡邉君52歳)の写真略歴1984年3月名古屋大学理学部化学科卒業1986年3月名古屋大学大学院修士課程修了1989年3月筑波大学大学院博士課程満了,博士号取得,同年日本学術振興会特別研究員1990年1月高エネルギー物理学研究所放射光実験施設助手1999年10月北海道大学大学院理学研究科助教授2006年4月北海道大学大学院先端生命科学研究院助教授(翌年名称変更で准教授)2007年6月名古屋大学大学院工学研究科・名古屋大学シンクロトロン光研究センター教授病院を普通に受診しろとなった感じです.白血球数とかは無茶苦茶だけど,微熱だし本人が緊急事態を実感ではまったく理解できておらず,検査で様子を見て入院日の相談とかなのかなとも思っていましたが,そのまま緊急入院させられました.一週間我慢していたら,まず死んでいた,たぶん直接の死因は肺炎とかだったのではと言われました.…以下省略」.渡邉信久君のフェイスブックは「友人申請」した人をすべて受け入れその結果248名に病状や,処置,検査などを投稿し,白血病に関する具体例を正確に記載し続けました.予想外の不幸な出来事は5月に右の手足が麻痺する片麻痺が生じたことでした.この痛手は大きく,流石の渡邉信久君も参ったようですが,それでも左手で字を書く訓練をして,図1のような俳句をフェイスブックに投稿しました.私が右手で書くより彼が左手で書くほうが巧いのには驚かされました.一時病状は改善し,12月7日に退図1138日本結晶学会誌第61巻第2号(2019)