ブックタイトル日本結晶学会誌Vol61No2

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概要

日本結晶学会誌Vol61No2

電子密度分布解析による新奇化学結合状態の解明と化学反応解析への展開図10 Ni錯体6による不斉触媒反応.(Asymmetric catalyticreaction via Ni complex 6.)媒(6)および,生成物(7)の結晶構造解析を行い絶対配置も含め構造を決定することになった.通常の構造解析のための測定を行った結果,6については,高分解能まで回折斑点が観測され,回折斑点も鋭く結晶性が非常に良好であった.これは触媒反応解析の手法に抱いていた違和感を払拭するチャンスと捉えた.そこで,この触媒の溶液中での電子状態を,結晶中のEDDと関連付けて明らかにし,反応機構解明に結びつけたいと考えた.具体的には,X線回折で得られた実測のEDDが,溶液中でも保持されていることを溶液の分光学測定の結果と結びつけることで明らかにすることにした.構造解析の結果,6はキラルなジアミン配位子が二座配位子として1分子,酢酸イオンが二座配位子として2分子配位し,1つの酢酸イオンの酸素(O4)が正八面体構造から大きく外れた位置に結合した歪んだ六配位八面体構造であった.また,ジアミンの2つのアミノ基の一方に,6の合成時に用いた溶媒であるTHF(tetrahydrofuran)がN?H?O水素結合によって保持されていた.Niと配位原子の結合距離は,正八面体から外れたO4以外は一般的な結合距離であった.一方,Ni?O4の結合距離は2.302(2)Aであり,ほかと比べ著しく弱い結合であることを示している.EDD解析の結果,static model map(図11)において,Ni周りに八面体場でエネルギーの低いd xy,d zx,d yz軌道に対応する位置の電子密度が高く,エネルギーの高いd x 2?y2,d z 2軌道の位置に谷が見られた.O4を除き,これらd x 2?y2,d z 2軌道の谷に配位原子のLPが直線的に伸び,結合を形成していた.一方,O4のLPは電子が欠如した領域に直線的に向いていなかった.この配置によって,配位子に隠されていない,むき出しになった電子が欠如したd軌道,つまり,ルイス酸の活性点が明確になった.Ni?O4のBCPにおける電子密度はほかの配位結合より低く,結合がほかの配位結合よりも顕著に弱いと考えられる.このため,反応においてはこの部分に基質が攻撃し,Ni?O4結合が切れて反応が始まると考えられる.反応の不斉選択性は,基質がルイス酸活性点に近付くことのできる方向が限られることで生じる.次に,この結晶中での電子状態が溶液中で保たれているか分光学と計算化学を組み合わせて確認した.錯体6について,反応時の溶媒と同じTHF中での,赤外吸収および,円二色性日本結晶学会誌第61巻第2号(2019)図11 6の等電子static model map.(Isosurface staticmodelmapof6.)緑および橙色はそれぞれ,正,負の電子密度を示す.(Licensed under CC BY 4.0.)編集部注:カラーの図は電子版を参照下さい.スペクトルを測定し,計算化学によるシミュレーションと比較した.最初は錯体6単体の電子状態を計算し各スペクトルと比較したが,一致がよくなかった.一方,結晶構造に見られた,6とTHFの水素結合による複合体として計算するとよい一致が得られた.この結果,THF溶液中でもEDD解析によって得られた電子状態と水素結合複合体構造が維持されていることがわかった.この結果から,この触媒反応は,α-ケトエステルのむき出しになったd軌道への配位をきっかけとした,酢酸イオンとの配位子置換,引き続いて,N?H?O水素結合による溶液中のニトロンの捕獲によって開始することがわかった.反応の選択性は,Niに配位したα-ケトエステルと水素結合によって捕獲されたニトロンとの相対位置が固定化することに由来すると考えられる.この研究によって,溶液中の反応機構を,固体(結晶構造解析)-気相(計算化学)によって推定していた従来の方法から,実際に反応が行われる溶液中の電子状態を,固体(結晶構造解析)-溶液(分光)-気体(計算化学)の三相における解析を密接にリンクさせ,より精度の高い触媒反応経路を探索する解析法を開発することができた.本手法は化学研究の一大領域である触媒反応の研究手法として今後発展すると筆者は確信している.6.おわりに化学結合を見たい,化学反応を見たい,非常に素朴な若い興味に導かれ研究を続けてきた.幸いにも次々に魅力的な化合物と出会い,世界的に合成例の少ない結合を観測する機会に恵まれた.これは,さまざまな試料と,ホットな研究段階で出会うことのできる,総合研究所の研究支援部門に所属する強みである.合成・結晶化したての新鮮な試料を手にできることも,不安定化合109