ブックタイトル日本結晶学会誌Vol60No2-3

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概要

日本結晶学会誌Vol60No2-3

原田潤であった.SA類のフォトクロミズムに伴う結晶構造の変化は筆者らによるX線結晶解析によって初めて明らかとなった.3.3二光子励起を用いたフォトクロミズムの結晶解析フォトクロミズムを示す結晶中に発生した光着色体をX線結晶解析で観測するのは一般には非常に難しい.その最大の原因は照射光を単結晶の内部まで透過させることが難しいことにある.結晶中で分子は密に充填しているため,その濃度は溶液中に比べて遙かに高い.したがって,強く吸収される(モル吸光係数の大きな)光を照射すると,光は結晶の表面付近ですべて吸収されてしまい,結晶内部まで透過しない.そのため,光反応は結晶のごく表層付近に限定される.これは,結晶の光反応全般に当てはまることであり,X線結晶解析による光着色体の観測を難しくしている.その解決策としては,結晶の光吸収スペクトルの長波長側の裾に対応する,弱く吸収される光を照射する方法が知られている.しかし,上述のようにフォトクロミック化合物は一般に,光反応によって長波長領域に新しい吸収帯が発生し,それが光透過を妨げる.特に,SA類ではこの長波長の光吸収は逆反応を優先的に起こして光着色体を消去するので,さらに都合が悪い.したがって,SA類のような光可逆のフォトクロミック結晶において,光着色体を結晶解析で決定するためには何らかの新しい工夫が必要であった.筆者らはこの問題を二光子励起の利用により解決した.15)SA類のフォトクロミズムを通常の一光子励起によって行う場合は,水銀ランプの輝線である365 nmの紫外光を用いる.しかし,それでは結晶内部まで光は透過せず,結晶表面のみが着色する.これに対して,730 nmのパルスレーザー光(パルス幅5 ns,パルスエネルギー20 mJ)を照射すると,結晶の中まで比較的均一に着色した.光照射前から結晶中に存在するエノール体,光着色体のいずれも,一光子励起過程では730 nmの光をまったく吸収しない.したがって,光は結晶内部まで容易に透過する.一方,1つの分子が同時に2個の光子を吸収する二光子励起が起こると,励起分子には365 nmの一光子励起と同じエネルギーが与えられ,実際に同じ光反応が起こることが赤外吸収スペクトルで確認できた.二光子励起が起こる確率は光の強度の2乗に比例するが,筆者の用いた照射条件ではその確率は非常に低い.そのため,光は強度を大きく減衰させることなく結晶を透過し,結晶全体で比較的均一に光着色反応を進行させることができた.光照射前の薄黄色の結晶では,エノール体の存在のみが観測されたが,レーザー光を照射して赤黒くなった結晶にはエノール体に加えて,トランス-ケト体が10%程度共存していることがわかった(図6).光照射後の結晶に可視光を照射すると,結晶は元の薄黄色に戻り,結晶図6サリチリデンアニリン誘導体の分子構造図.(Molecularstructuresofasalicylideneanilinederivative.)(a)光照射前.(b)光照射後.(c)構造変化に対応する反応式.解析を行うと,トランス-ケト体は消失して,エノール体のみが観測された.ちなみに,結晶中の光着色体を長波長の光照射で消去する反応は,通常の一光子励起でも特に問題なく進行する.これは,反応の進行に伴い着色体が減少し,光がより透過しやすくなるためである.これらの結果より,SA類の結晶のフォトクロミズムにおける光着色がトランス-ケト体であることが初めて証明された.この研究は,SAに限らず,結晶のフォトクロミズムに伴う分子構造の可逆変化をX線結晶解析で観測した初めての例として知られている.また,二光子励起により結晶全体を均一に反応させるという方法は,SA類だけでなく,同じく結晶で光可逆なフォトクロミズムを示すフルギド類においても有効であることがわかった.16),17)3.4 SA類のフォトクロミズムとペダル運動光照射後の結晶構造におけるエノール体とトランス-ケト体の相対配置から,SA類のフォトクロミズムではペダル運動が重要な役割を果たしていることがわかった.X線結晶解析によって得られる光照射後の結晶構造は,反応物と生成物の重ね合わせとなるため,その両者の相対的な位置関係の情報も与えてくれる.それにより,光反応に伴う分子構造の変化の過程をより詳細に知ることができる.SA類の場合,安定なエノール体が光励起されると,プロトンは酸素原子から窒素原子に移動する.そのプロトン移動に引き続いてアゾベンゼン類で見られたようなペダル運動を行うことで,トランス-ケト体へと変化したと解釈できる.励起状態ではフェノール(Ph?OH)の酸性度が非常に高くなることが知られており,SA類の励起状態での酸素原子から窒素原子へのプロトン移動は当然のことと考えられていた.コーエンら100日本結晶学会誌第60巻第2・3号(2018)