ブックタイトル日本結晶学会誌Vol60No2-3

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概要

日本結晶学会誌Vol60No2-3

原田潤動は起こりにくくなる.これまでペダル運動が観測された分子では,ペダル運動によって大きく動く分子中央の部位はN=N,CH=CHなど比較的小さなものばかりである.そのような分子ではペダル運動は阻害されにくい.し図33,3’,4,4’-テトラメチルアゾベンゼンの差電子密度図.(Difference electron density maps of 3,3’,4,4’-tetramethylazobenzene.)(a)at 300 K.(b)at 373 K.(c)2つの配向の重なりを表す構造式.てペダル運動が起こっていないということにはならず,逆に,ペダル運動は結晶構造にディスオーダーが観測できるかどうかとは関係なく起こっていると考えるべきであることが示された.最初に述べたように,いくつかのタイプの運動は結晶中でも起こることが知られている.例えば,メチル基やtert-ブチル基のように円錐に近い形状の置換基は結晶中でも容易に回転運動する.ベンゼン,ナフタレン,ピレンのような円盤に近い分子は面内回転運動を行う.アダマンタンのように球形に近い分子は複数の軸の周りに回転することが知られている.これらの運動の共通点として,結晶中で分子が占める空間の形状が運動によって大きく変化しないことが挙げられる.つまり,これらの分子では,結晶中で分子が占めているスペース内で運動が行われており,運動のために新たに必要となるスペースはほとんどない.したがって,このタイプの運動は結晶中にある周辺の分子に阻害されることが少なく,どのような結晶中でも比較的容易に起こる.そのため,これらの分子あるいは置換基をもつ分子においては,結晶構造に関する情報がなくても,当然,運動が起こっていることが想定される.これと同じように,ペダル運動もそれに伴い分子が占める空間の形状が大きく変化することはない.したがって,ペダル運動は結晶中における有機分子の一般的な運動様式の1つであり,自転車のペダルのような骨格をもつ分子は,結晶構造にディスオーダーが観測されるかどうかとは関係なく,ペダル運動を期待できるといえる.ただし,分子中央部に大きな置換基があるとペダル運かし,CH=CHではなくCCl=CClあるいはCCH 3=CCH 3のような大きな部位をもつ(E)-スチルベン類では,ペダル運動が起こらないことがわかった.8)これは,これらの分子ではペダル運動に伴い,分子が占める空間の形状が大きく変化することに起因すると考えられる.2.3ペダル運動凍結による非平衡状態の観測上述のように,X線結晶解析によってペダル運動を検出できること,そして,この運動がかなり一般的なものであることがわかってきた.さらに,室温の結晶構造にディスオーダーが観測できない場合でもペダル運動が起こっていることがわかった.さらに研究を進めると,これとは逆に,室温でディスオーダーがある場合でも低温ではペダル運動が起こらなくなる場合があることもわかってきた.結晶中で分子が配向変化を行い,配向間に平衡が成り立っている場合は,各配向の存在割合は温度に依存して変化する.しかし,それは配向間に熱力学的な平衡が成り立っている時,つまり配向変化の速度が十分大きくて温度変化に対応して存在比が変化できる場合に限られる.これまで述べたペダル運動の速度は室温付近では十分大きく,温度変化に対応して存在割合も変化していた.しかし,温度低下に伴い速度は減少するので,ある温度以下では平衡が成り立たなくなると予想できる.実際に,ペダル運動が低温で凍結して生じた非平衡状態を(E)-スチルベンの温度変化X線結晶解析で観測することができた.11)(E)-スチルベンの同一の結晶を用いてX線回折測定を行い,2つの配向の存在比の温度依存性を調べると,150 K以下では存在比はほとんど温度変化しないことがわかった.一方,90 Kにおける2つの配向の存在比は冷却速度によって変化した.具体的には,結晶を300 Kから1 K/minの速度で90 Kまで冷却したのち測定を行うと,不安定な配向の割合は5.5(2)%であった.これに対して,室温にある同一の結晶を90 Kの窒素気流で瞬間的に冷却(フラッシュクール)して測定すると,不安定な配向の割合は9.0(2)%とかなり大きくなっていた.また,90 Kの格子定数も冷却速度によって変化していた.この結果は90 Kでは配座変換が凍結して非平衡状態になっていることを示している.ほかのいくつかの化合物の結晶においても同じように,低温でペダル運動が凍結して生じた非平衡状態が観測された.6),9)このように結晶中でのペダル運動が凍結して非平衡状態になるという現象は,熱測定の研究においてガラス転移,つまり,低温で運動過程が非常に遅くなって実験室の時間スケールでは熱力学的平衡状態に到達できなく98日本結晶学会誌第60巻第2・3号(2018)