ブックタイトル日本結晶学会誌Vol58No4

ページ
41/62

このページは 日本結晶学会誌Vol58No4 の電子ブックに掲載されている41ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

日本結晶学会誌Vol58No4

日本結晶学会誌58,193-194(2016)勝部幸輝先生を偲ぶ勝部幸輝先生は本年1月より入院・療養中のところ4月1日に,85歳で逝去されました.昨年秋,鳥取大学の卒業生の集まりが鳥取であるので,一緒に行きませんかとお誘いしたときに遠慮されたことから,いささか健康に不安があるのかと懸念していました.しかし,これほど突然に訃報に接するとはまったく予期できませんでした.長い間身近でお世話になったこともあり,追悼文を書かせていただきます.なお,蛋白質研究所時代および退職後については,相本三郎大阪大学名誉教授,佐藤衛横浜市立大学教授,持田製薬㈱医薬開発本部フェロー西島和三博士,㈱リガク濱田賢作博士にご協力いただきました.勝部先生は1966年に創設されたばかりの鳥取大学工学部工業化学科に助教授として姫路工業大学から赴任されました.1971年から教授として1983年まで教育・研究に携わられました.私は田中信夫先生の後を受けて,1971年から勝部先生の研究室の助手として勤務しました.何よりも感謝していることは,私がタンパク質の基礎研究,それもX線結晶構造解析を主テーマにすることについて,工学部であるためのさまざまな軋轢があったにもかかわらず,寛大に見守ってくださったことです.勝部先生が赴任された当時,鳥取大学農学部に初田勇一教授,濱崎敝助教授を中心にした麹菌代謝産物に関する伝統的な研究がありました.そこでは次々に新しい代謝産物が抽出・精製されていましたが,それらの構造決定は難航していました.勝部先生は着任当初からX線結晶構造解析が有機化合物の構造決定に最も有効な手法であると説いて,農学部の研究グループと共同研究を始められました.私が大学院生として蛋白研に在籍していたころ,鳥取から田中信夫先生が4軸型自動回折計を使用した回折強度データ収集に度々来られていました.麹菌の代謝産物での最初の構造解析の成果はSterigmatocystin(Tanaka et al.: Bull. Chem. Soc. Japan,(1970))でした.続いて1972年にはAverfin(Katsube etal.: Bull. Chem. Soc. Japan)の構造を決定して,結晶構造解析の信頼性を確固としたものにされました.1973年からは福山恵一氏が助手として加わり,続々と構造決定を行うとともに,代謝経路の確定に重要な絶対構造を酸素原子の異常散乱を使って決定しました.こうして麹菌代謝産物の研究に大きく貢献し,勝部先生の鳥取での大日本結晶学会誌第58巻第4号(2016)勝部幸輝先生きな足跡となりました.タンパク質の研究では1971年以降,いくつかの電子伝達タンパク質を中心に精製・結晶化を行っていましたが,1975年に阪大理学部の松原央先生のところで結晶化されたフェレドキシンを得て,本格的な結晶学研究が始まりました.この研究は鳥取大学の勝部研究室,阪大の松原研究室,角戸研究室の共同研究として1980年にNature誌(Fukuyama et al.)に掲載される大きな成果に結実しました.研究条件の整わない中でこうした研究を進めるにあたって,機械の修理や回折計の自動化などを自ら行われました.教授室の机と応接テーブルの上には常に回路図が広げられていました.機械に強く装置開発にも熱心であったことは学生にも影響を与え,工業化学科の割には多くの学生が装置メーカーに就職して技術者として活躍することにもなりました.大阪大学蛋白質研究所に移られてからもメーカーと連携してタンパク質用の自動化回折計やコンパクトな低分子自動解析システムの開発を行い結晶学の普及に努められました.ただ,鳥取時代から図面のそばには常に1日で一杯になる灰皿があったことは,命を縮めた原因がタバコであったと思うといささか悔やまれることです.鳥取時代に送り出された100名を超える卒業生にとって忘れられないことは,勝部先生が毎日夜遅く最後まで193