ブックタイトル日本結晶学会誌Vol57No5

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概要

日本結晶学会誌Vol57No5

日本結晶学会誌 第57巻 第5号(2015) 301中性子結晶構造解析で明らかになったビリン還元酵素PcyA基質複合体の2 つの水素化状態と構造的特徴Fo?Fc中性子散乱長密度が見られ,中性の状態になっていることがわかった(図4C,D).Asp105のもう一方のコンフォメーション(コンフォメーション2)は,両方のOともに水素が付いていない負に帯電した状態(ここではAsp105-と表記する)であることがわかった.コンフォメーション1 をとっている中性のAsp105は中性のBVと対応し,脱プロトン化したAsp105-はBVH+と対応していると考えられる.4.2.3 BV の最近隣に存在する水分子この中性子構造では,以前のPcyA-BV複合体のX線構造で同定できなかった水分子の存在を明確にできた.さらに中性子散乱長密度と電子密度の両方から,その水分子の向きまで決定することができた(図4E).では,なぜ以前のX線結晶構造解析ではその電子密度が明瞭に現れなかったのであろうか? われわれは,その原因がX線照射による還元のためだと推測し,別の結晶を用いて,結晶に照射するX線量を調節し,低温で再度X線回折実験を行った.すると非常に少ないX線照射量(プログラムRADDOSE13)で計算したところ3 kGy)では見られたBV近辺の電子密度が,その30 倍程度の照射量でほとんど見られなくなったことから仮説が正しいことが示唆される.中性子構造解析では常温で測定してもPcyA-BV結晶はほとんど還元されないし,X線照射も1カ所につき1ショットだけであったので,今回の構造解析では,水分子があることがはっきりわかった.また,その水分子の占有率は約50%であると見積もられた.4.2.4 His88 のプロトン化状態今回,His88のNδ ははっきりとプロトン化していることがわかったが,Nε に水素が付いているようには解釈できなかった.Nε の近辺にFo?Fc中性子散乱長密度が部分的にあるのだが,水素と解釈にするにはNεからの距離が長いうえ,イミダゾール環の平面の延長上から外れていた(図5A).つまり,His88はNδ のみがプロトン化した中性の状態だった.その水素は,BVのA環ラクタムのO原子と水素結合を形成していたため,そのO原子にプロトンを渡すプロトンドナーとなっている可能性が示唆される.4.3 新しい発見~ヒドロニウムイオン~以前の“ 低温”X線構造で見つかっていたHis74とHis88 の間にある水分子の向きを変えるとFo?Fc中性子散乱長密度が消えるが,その場合どうしても不自然な配向になり,His88とHis74が水素結合で結ばれなかった(これはNMRの結果と矛盾する).また,水素結合を形成する向きに水分子を配向させると,別の場所にFo?Fc中性子散乱長密度が残ってしまった.ところが,そこにD2OではなくD3O+を置くと,His74とHis88の間の水素結合も保たれ,残余の密度も消失した(図5B).D2Oが3 つのコンフォメーションで存在していることも考えられたが,1つ当たりのoccupancyが下がり,Fo?Fc中性子散乱長密度は再び現れた.これらのことを総合的に考慮するとD3O+が最もよく適合した.His88はA環ラクタムへのプロトンドナーと考えられるが,プロトンがHis88から引き抜かれると一瞬負電荷をもった不安定な状態になる.ヒドロニウムイオン(H3O+)は負に荷電したHis88 にすぐにプロトンを渡すのに適しており,その存在は機能的にも意味がある.5.おわりにPcyA-BV複合体の中では,BVとBVH+が共存しており,BVH+がAsp105-と対応している.一方,中性のBVが中性のAsp105や最近隣水分子と対応している(図6).BVH+は最初に電子を受けやすいと考えられる.このようにBVとBVH+の平衡状態をとって,PcyAの触媒反応が無秩序に進まないように巧妙にコントロールされているのだろう.この構造から提唱できる反応機構の詳細は原著論文9)を参照されたい.われわれは,今後,反応中間体や変異体の水素化状態を可視化し,反応機構の完全解明に邁進していきたい.また,水素原子が見えたことで,計算科学や赤外分光法などの振動分光法を用いて,この中性子構造解析と反応機構を補完することも考えている.TOFでは異なる波長由来の等価の反射を比べているため,単波長のX線回折データの場合とは根本的に異なり,長波長側のエネルギー分解能の問題もあるため,統計値の良し悪しはX線結晶構造解析の場合と単純には比較できない.タンパク質のTOFによる中性子回折実験はまだ黎明期であり,データ処理には改良の余地も大きく,今後,ソフト・ハード両面から改善されていくことが期待される.われわれが実験を行った当時300 kWだった出力が今年度中には1 MWに上がる予定であり,図5 His88と水素結合を形成するヒドロニウムイオンおよびHis74.(A hydronium ion intervening His88 andHis74.)A:His88と水分子の周辺のFo?Fc中性子散乱長密度図(緑籠).His88のNδは水素化し,BVのA環と水素結合を形成する.B:水分子(H2O)をヒドロニウムイオン(H3O+)と解釈すると残余の中性子散乱密度は消え,His88とHis74は無理なく水素結合でつながる.編集部注:カラーの図はオンライン版を参照下さい.