ブックタイトル日本結晶学会誌Vol56No3

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日本結晶学会誌Vol56No3

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概要

日本結晶学会誌Vol56No3

大橋裕二な物理学者はLaueの回折実験の提案に当初は賛成でなかったので,この提案に論理的な根拠のあるものではなかった,と指摘する.しかし彼らが賛成しなかった理由は,原子の熱振動のために結晶格子の周期性は壊れているので回折現象を示さない,と考えたためだとLaueは述べている.実際には熱振動を過大評価していたのである.Rontgenは,「以前自分も結晶にX線を照射したが,何も記録できなかった」とコメントしたが,このときは線源がずっと弱かったためであろう.第5の点が最も厳しいが, LaueはX線で照射された結晶中の原子から放出された二次的な特性X線が回折現象を起こしていると説明しているが,この特性X線は干渉性ではないはずだから,回折現象は示さないのではないかという指摘である.もちろん入射X線の中の特性X線によって回折像が表れるのであって,明らかにLaueの誤解である. Laueの考えた現象は後にBorrmannによってKossel線の原因となることが証明され, Laue自身も実験して確かめている.しかし当時のX線の強度ではこの現象が観測できるはずはなかった(次節参照).3.Eckert-Authierの指摘Eckertの長い論文はまとめると2点ある.第1の点はFormanが指摘したようなミュンヘン大学の自由で闊達な雰囲気は確かに存在した.そしてSommerfeldはDebye,Pauli, Heisenbergといったノーベル賞受賞者をはじめとして,優れた研究者を多数育てている.しかし神経質なLaueとは性格的に合わなかったようである. Laueによれば, Sommerfeldは実験に協力せず,そのためにFriedrichはしばしば実験を中断したと述べている. Sommerfeldとの心理的なストレスから論文発表直後の1912年夏にはチューリッヒ大学に移ってしまった.したがって, Formanが指摘する第1の点は,少なくともLaueにとっては無関係であったようである.ただし, Laueの提案でFriedrichとKnippingが実験することをRontgenもSommerfeldも認めていたことは事実なのであるので,実際はLaueが感じていたものとはいくらか違っていたのではないかと思われる.第2の点は特性X線の問題である. LaueのX線回折像の結果を聞いて,ほとんどの物理学者は賞賛の声を上げたが, X線に照射された結晶内の原子の特性X線が結晶格子によって回折される,というLaueの説明を聞いて驚いた物理学者も少なからずいた. Friedrichが硫酸銅五水和物結晶を最初に選んだのは,銅原子が特性X線を効率的に発生すると聞いたからである.この結晶は対称性が低いので,次に立方晶系の閃亜鉛鉱(ZnS)の結晶に変えたが, Zn原子も効率的に特性X線を発生すると知られていたからである.その後, NaClやダイヤモンドの結晶からもきれいな回折像を得ていたが,こちらは特性X線が観測されない筈なので,何も説明されずに無視された.これに対して, X線は電磁波と考えており,結晶学の知識もあるLawrence Bragg(息子)は入射の特性X線そのものが結晶面によって回折していると考え,回折線に指数を付け,NaClの構造を明らかにすると同時に,その構造からアボガドロ定数を使ってX線の波長を求め, NaClの格子の実際の長さを求めることに成功した. Ewaldはこの結果を知り,逆格子とEwaldの反射球の概念を導入して, Laueの回折条件とBraggの結晶面からの回折が同じ結果を表していることを証明した. Ewaldも入射の特性X線が回折することを前提としていて,これでLaueの誤解は何となく解消されたような形になったが, Laue自身は自らの誤解をその後も訂正していない. Eckertはこれが不当だと主張するが,すでにノーベル賞を受賞してしまった内容の訂正をどうするかはもっと厄介な問題だと筆者は想像する.研究成果の評価は,多方面からの客観的な評価ができるまでは,受賞などという評価に絡んだ行為はもっと慎重にすべきだったのであろう. Authierの詳細な記述の中でLaueのX線回折の発見に関する章はEckertとほぼ同じである.4.おわりにLaueの実験のアイデアと結果の説明が物質研究の新しい世界を切り開いたことは今日では疑いようもない事実である.しかし筆者の長年の素朴な疑問は, FriedrichやKnippingの行った回折実験はLaueの仕事の最も重要な部分であり,彼らは種々の苦労をしながら鮮明な回折像に辿り着いたのである.なぜ2人にもノーベル賞が授与されなかったのだろうか?なぜ誰もこのことを指摘しないのか?「科学」において最も重要なことは,「直感」ではなく(これも大切な要因ではあるが),「正当な実験に基づく『事実』であり,そこから導かれた『概念』である」と筆者は信じている. Laueの受賞から50年後に,「X線回折による二重らせん構造解析」に対してノーベル賞が授与されたが,これは他人の測定データを勝手に使って得られた結果である.科学の真の発展のためには,『推定』に大騒ぎする前に,実験事実の正当な評価がぜひとも望まれる.現在のデータ捏造騒ぎを解決する鍵である.文献1)M. von Laue: Nobel Lecture (1915).2)P. P. Ewald: Fifty Years of X-ray Diffraction, IUCr (1962).3)P. Forman and P. P. Ewald: Archive for History of Exact Science6, 38 (1969).4)M. Eckert: Acta Cryst. A68, 30 (2012).5)A. Authier: Early Days of X-ray Crystallography, IUCr/Oxford,p.83 (2013).208日本結晶学会誌第56巻第3号(2014)