ブックタイトル日本結晶学会誌Vol56No3

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日本結晶学会誌Vol56No3

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日本結晶学会誌Vol56No3

日本結晶学会誌56,207-208(2014)X線回折の誕生秘話東京工業大学名誉教授大橋裕二1.はじめに今年は世界結晶年であるが,その理由として,1)FriedrichとKnippingとLaueが1912年にX線回折現象を発見して,X線は電磁波であり,結晶はX線の波長と同程度の間隔の周期構造でできていることを証明したことと,2)この回折現象の発見を知って,翌1913年にBragg父子がNaClなどの結晶構造の解析を行って,物質の原子・分子レベルでの構造解析の基礎を作ったこと,が挙げられている.そして, 1914年度のノーベル物理学賞がLaueに, 1915年度のノーベル物理学賞がBragg父子に与えられたが,今年はそれから100年目の記念すべき年だからである.しかしこの回折現象の発見は,当時からいくつかの疑問が出されていた. Laueはノーベル賞受賞講演の中で, X線回折現象に気づいた動機(Laueの直感)を述べている. 1)すなわち, 1912年の2月頃にEwaldが訪ねてきて,当時作成中の彼の博士論文のテーマである結晶内での光の複屈折現象に関する議論である. Ewaldの質問に直接的な回答はできなかったが, Ewaldが結晶中では原子が周期的に並んでいて,その周期は1 A程度であろうと説明したことを聞いたことである.当時WienやStarkらはX線の波長は0.1~10 A程度だと報告していたので,結晶にX線を照射すれば結晶の周期構造が回折格子となってX線の回折現象が観測されるはずだと直感したというものである.そしてこの直感をミュンヘン大学物理学科で毎週開いていたコロキウムで話したところ,助手のFriedrichと大学院生のKnippingがそれを実験的に証明しようと提案して, X線回折現象が見つけられたというX線回折誕生の逸話である. EwaldもX線回折発見50周年を記念して出版された「Fifty Years of X-ray Diffraction」の中でこの誕生のいきさつを詳しく述べている. 2)これに対して,科学史家のFormanは, Laueの受賞講演原稿とEwaldの記述を検討して,「LaueとEwaldは当時の物理学の現状を勝手に解釈して,自分たちの結果を誇大に宣伝した結果,誕生の神話『myth of origins』と誤解をばらまいてしまった」と批判した.これに対してEwaldは,同じ論文の中で,この指摘はLaueの発見当時の物理学の混沌とした状況を無視した指摘であり,「the myth of the myths」だと反論した. 3)その後,何人もがこの論争についてコメントしている. 100年後の一昨年,ドイツ博物館のEckertがこの日本結晶学会誌第56巻第3号(2014)論争に対する長いコメントを発表した. 4)さらにIUCrの元会長であったAuthierが昨年「Early Days of X-rayCrystallography」を出版して,回折現象の発見について歴史的な事実を詳述した. 5)本稿では, Laueのノーベル賞受賞講演原稿とEckertの論文とAuthierの本を比較して主要な問題点を述べたい.その前に,この回折実験が行われた1912年当時のミュンヘン大学の関係者を紹介しよう. 1895年にX線を発見したRontgenは1900年に同大学物理学科の実験物理の教授に就任し, 1901年に第1回のノーベル物理学賞を受賞した.そしてSommerfeldが1906年に, Boltzmannの後任として理論物理の教授に就任した. Laueは,ベルリン大学のPlanckの研究室で1903年にPhDを取得して助手になっていたが, 1909年にSommerfeldの研究室に講師として採用された.当時Sommerfeldが「物理学辞典」の編集をしていたので, Laueに「回折格子による光の回折現象」について執筆を依頼した. 1911年にはFriedrichがRontgenの研究室でPhDを取得してSommerfeldの研究室にDebyeの後任の助手として採用された. Rontgenの研究室には大学院生としてEwaldとKnippingらがおり, Ewaldは1912年に, Knippingは1913年にPhDを取得した.2.FormanとEwaldの論争Authierの記述によれば, Formanが指摘する主要な問題点は5点あり,その第1は, Ewaldがミュンヘン大学の自由な雰囲気,とくにSommerfeldの自由なやり方のためにこの発見が可能になったのであると述べていることは神話だと主張している.これは50年後のEwaldの郷愁の産物だが,この点についてはEckertが反論している(次節参照).第2の点は, Laueが空間格子の概念は仮説であり,彼自身がそれまでその概念を知らなかったというのは誇張であり,すでに物理学者にはよく知られた概念だったとして,神話説を主張している.しかし,これはむしろ言いがかりに近い.第3の点は, X線は波であることはすでに明らかであったので, X線の回折現象を見つけた実験は誇張すべきではない,と主張している.しかし当時の物理学の研究の状況を調べる限り,明らかに正しくない.第4の点は, RontgenやSommerfeldやWienなどの有名207