ブックタイトル日本結晶学会誌Vol59No5

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概要

日本結晶学会誌Vol59No5

日本結晶学会誌59,201-202(2017)最近の研究動向P. Coppensの化学結晶学に対する貢献兵庫県立大学大学院物質理学研究科物質科学専攻小澤芳樹Yoshiki OZAWA: Contributions of Philip Coppens to Chemical Crystallography米国ニューヨーク州立大学バッファロー校(UB)の教授(Distinguished Professor)であったPhilip Coppensが48年にわたるUBでの研究・教育活動に終止符を打ち退職したのは2016年10月だった.翌2017年にC. Lecomteらの企画でCoppensの結晶学への貢献・業績を記念してActaCrystallographica B73 Part4が“Special issue on charge density,photocrystallography and time-resolved crystallography:atribute to Professor Philip Coppens”として同年8月に発行された.関連分野の研究者からCoppensが選んだ最近の論文が寄稿され,彼自身も巻頭言を寄せた.ところが発刊に先立つ2017年6月に彼の突然の訃報に接し,はからずも彼の追悼特集号となった.IUCr会長(1993~1996年)を務め,Ewald Prizeを受賞(2005)し,結晶学および国際結晶学連合におけるCoppensの研究業績と長年の貢献は化学結晶学を中心に広範囲に及ぶ.本記事ではそのすべてを取り上げることはできないが,最近の化学結晶学分野に関する彼の研究業績を中心に紹介する.彼の研究は,結晶構造解析法による化学結合の評価を理論計算に基づいて精密に導出する手法を提案し,理論にとどまらず実際の実験に応用できる解析手法の確立まで及んでいるところが特徴的である.この研究は1967年に単独名でScienceに発表された,1,3,5-triazineのX線と1中性子線による電子密度分布の研究)に端を発し,電子が原子の周りに球対称に分布するとみなす原子散乱因子をモデルとした構造解析からの電子密度分布の差が化学結合に関与する電子の分布として検出できることを示した.その後,電子密度分布の球対称からのずれを定量的に評価する手法として,有名な多極子展開による電子密度2分布をモデル化するための精密構造解析法)を提案した.多極子展開法の解説は本学会誌ですでに取りあげられており3)ここでは詳細を述べないが,方向性をもった結合電子の分布を原子中の電子の波動関数の表現にも用いられる球面調和関数で表し,各関数の電子の占有率とκと呼ばれる関数の広がり(scaling parameter)を精密化にすることで結合電子を表現する方法である.この解析法にBader4らのAIM(Atoms In Molecule)理論)に基づく化学結合評価法を取り入れた専用の構造解析ソフトウェアXD 5)が開発されており,精度の良い回折データが得られれば,だれ日本結晶学会誌第59巻第5号(2017)でも電子密度分布精密構造解析が可能となっている.彼の研究は1990年代から結晶中での化学結合のダイナミクスに関する研究に軸足を移した.結晶中での静的な電子密度分布から,化学結合の生成,変換に伴う動的な電子密度分布の変化を結晶構造解析の手法により解明しようという試みである.鉄ニトロプルシドナトリウムをはじめとする,金属ニトロシル錯体を,極低温の結晶試料に光照射することにより生じた準安定種(MS)を単結晶状態を保ったままで結晶中にトラップ(cryotrap)することにより基底状態(GS)とのdisorder状態として検出し,精密な結晶構造解析と量子化学計算による解釈を行うところから始まった.光照射前の錯体におけるNO配位子はN原子で金属イオンに対し直線状に配位しているが,MS分子の配位構造は不明だった.低温で光照射した単結晶のX線構造解析により,光照射後はNOが反転してOで直線状に配位するMS 1と,NOが金属イオンに対して横向きにside-onで配位するより不安定なMS 2の2種類の準安定状態が生成することを初めて明らかにした.6)1990年代半ばから,準安定状態よりさらに短寿命の光励起状態(ES)を結晶構造解析法で検出し,励起状態の化学結合の評価の研究へと発展していった.結晶中に励起状態の分子はごくわずかしか生成せず,しかもその寿命は短いためGSとESのdisorderとして取り扱う通常の構造解析手法では検出が困難と予想された.そこで分光学的手法で極微量の短寿命種を感度良く検出できるポンプ-プローブ法の回折実験へ応用を考えた.光励起により遷移状態分子が生成し,また短寿命で元に戻る条件下で結晶を壊すことなく,光照射(light-ON)時と非照射(light-OFF)時のX線回折強度の変化量を検出し,これを繰り返し測定することでデータの精度を向上させ,light-ON,-OFFの回折強度比(I on/I off)に基づいて結晶構造解析を行うlaser-pump/X-ray diffraction probe法として確立した.ポンプ-プローブ法は時分割光励起X線回折強度測定,light-ON,-OFF時の回折強度比(RATIO)7)の精密な検出,光差フーリエ合成(photodifference map)による電子密度分布変化の検出,回折強度比に基づく最小二乗法による構造精密化の手順で行われる.通常の結晶構造解析と同様に,計測データの有意性と誤差の取り扱い,構造解析結果の信頼性の評価と,光励起状態の構造に対する理論化学的201