ブックタイトル日本結晶学会誌Vol59No5

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概要

日本結晶学会誌Vol59No5

小澤芳樹な考察も必要である.彼は,これらすべての過程に対して,結晶学と量子化学理論に基づく手法の提案と,実際の実験装置,解析ソフトウェアの開発まで行った.時分割回折強度測定は,初期段階では連続励起(CW)レーザーをメカニカル回転チョッパーで分割し,X線はシンチレーションカウンター(SC)の信号をレーザーの変調と同期して分割取8り込みをする方式)から始まったが,軌道放射光の利用と,X線回折計の技術革新に伴って大きく進歩した.のちに軌道放射光(APS)のパルスX線をパルスレーザーと同期させ,回折強度はCCD二次元検出器で効率よく測定できる手法に発展させた.2003年には発光性の白金2核錯体([Pt 2(H 2P 2O 5)4]4-)塩の光励起単結晶構造解析により,基底状態で直接結合のないPt(II)イオン同士の距離が励起状態で0.28 A短縮することを初めて検出した.9)さらに,放射光X線を単色化せずにある一定のエネルギー領域をもつビーム(pink beam)を用いて,疑似ラウエ法による迅速な測10定)でロジウム2核錯体などのd 8あるいはd 10電子配置をもち,金属間に直接相互作用のない発光性多核金属錯体をターゲットとした光励起構造解析の研究成果をあげた.光励起状態の構造変化を化学結晶学の観点から評価する方法として,DFTに基づく量子力学理論で分子の基底-励起状態を取り扱い,結晶中での分子の相互作用として分子動力学理論を取り入れたQM/MM法による量子計算を行った.最近の研究例として,d 10電子配置を11)とるCu(I)-Ag(I)混合金属4核錯体の光励起構造解析を図1に示す.平行四辺形型に配置されたAg 2Cu 2金属コアが光照射によりAg…Cu原子間距離が短縮(Ag1…Cu2で0.53 A)される様子を捉え,量子計算により光励起遷移状態を配位子-金属電荷移動遷移(LMCT)と帰属した.さらに量子論に基づくAIM理論(QTAIM)を適用してAg…Ag間に結合が生じていることを示し,QM/MM法を用いて励起状態の分子の結晶中の変形と移動について実験結果の再現を行った.私事になるが,助手の時に1995~1996年の1年間Coppens教授の研究室に滞在した.当時はポスドクが4~5名と大学院生が数名のこぢんまりとした研究室で,毎日教授が研究室の各メンバーの所に立ち寄りディスカッションを行うのが日常であった.彼は有機化学の研究室のようなあまり大人数ではなく,小さなグループで研究を行いたいと言っていた.おそらく実験装置の開発と,測定,解析まで彼自身の目の届く範囲で一貫して行う研究スタイルを大切に考えていたのだと思う.ちょうど時分割の光励起構造解析の手法開発に着手した時期で,実験室にはHuberの四軸型回折計とCW-Arレーザーがあったが時分割装置は完成していない状態だった.しかしながら,X線回折強度比データからphotodifference mapの計算,励起状態と基底状態の乱れた状態での光励起構造精密化手法など,最終的な解析法までがすでに彼の頭の中で図1Ag 2Cu 2L(L=1-diphenylphosphino-3-methylindole)錯体結晶の光照射による構造変化の様子.上段左:Photodifference map(Agの周りに正の差電子密度分布).上段右:構造精密化後の基底状態(GS,淡色)と励起状態(ES,濃色)の構造を重ねて描いたもの.下:量子計算によるフロンティア軌道(ref.11).(Photodifference Map(top left), structures ofGS and ES molecules(top right), and frontier orbitals(bottom)of Ag 2Cu 2L 2. Reproduced with permissionfrom Figure 2 and 3 in ref. 11. c2014 AmericanChemical Society).出来上がっており,後は実行すれば理論-実験-解析までが一貫した研究として完成される見通しが明確に示されていることに驚いた.私はそれに従って,メカニカルチョッパーの制御装置の開発とそれに同期したSCの時分割同期取り込みソフトの整備を行い,結晶試料にレーザーを照射し時分割測定のデータを測定した.滞在の終わりころには,光励起構造解析プログラムのコーディングも行い8)まさにその一貫した研究の流れを体験できた.12彼の最後のActa Crystallographica掲載論文)は,ポンプ-プローブ法による光照射時のX線回折強度の変化の有意性の評価に関する研究で,データが光励起構造解析に適しているか検証を行っている.光励起構造解析の理論に基づく細部にわたるより精密な実験手法の開発と構造解析法の確立に余念がないことを強くうかがわせ,引退後も衰えることない研究姿勢に今後の化学結晶学へのさらなる貢献を期待していた矢先の彼の死は非常に残念である.ご冥福を祈る.文献1)P. Coppens: Science 158, 1577(1967).2)N. K. Hansen and P. Coppens: Acta Cryst. 34, 909(1978).3)橋爪大輔:日本結晶学会誌56, 313(2014).4)R. F. W. Bader: J. Phys. Chem. A 114, 7431(2010).5)A. Volkov, et al.: XD2016(2016).6)M. D. Carducci, et al.: J. Am. Chem. Soc. 119, 2669(1997).7)B. Fournier and P. Coppens: Acta Cryst. 70, 514(2014).8)Y. Ozawa, et al.: J. Appl. Cryst. 31, 128(1998).9)I. V. Novozhilova, et al.: J. Am. Chem. Soc. 125, 1079(2003).10)P. Coppens, et al.: J. Synchrotron Rad. 16, 226(2009).11)K. N. Jarzembska, et al.: Inorg. Chem. 53, 10594(2014).12)P. Coppens, et al.: Acta Cryst. 73, 23(2017).202日本結晶学会誌第59巻第5号(2017)