ブックタイトル日本結晶学会誌Vol59No2-3

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概要

日本結晶学会誌Vol59No2-3

久保田佳基励起された状態を見ていることになる.熱的な励起状態の分布はボルツマン分布により与えられ,その割合でS=0,1,2の状態が混ざって観測されていると考えられる.つまり,温度上昇に伴い,S=0,1のH-geometryにS=2のS-geometryが徐々に混ざっていくと考えられる.これを踏まえて改めてMEM電子密度分布を見てみると,酸素分子の電子密度分布がぼやけているのは,複数の異なるスピン状態(分子配向)の混合の度合いを反映しているように見える.これら2つのPCPにおけるO 2-O 2ダイマーの分子配向の変化を比べてみると,どちらもH-geometryからS-geometryに変化しているが,変化する温度には明確に違いがあることがわかる.ここで,再び磁化測定のデータについて考えてみる.CPL-1の場合,Heisenbergモデルでは磁化率と磁化過程のデータをうまくフィットすることができなかったが,PCP細孔内で吸着分子は非常に強いポテンシャルを感じているので,その効果も含めて考えるほうが良さそうである.そこで,スピンギャップの大きさもパラメータとしてフィッティングしたところ,図6b,cに示すように磁化率の温度変化と強磁場磁化過程のデータをほぼ同時に満たすスピンギャップパラメータを求めることができた.その大きさはCu-CHDが約50 Kであるのに対してCPL-1は約100 Kであり,2倍ほど異なっている.図6aにはこれらの値を参照してそれぞれのエネルギーレベル(状態密度分布の最低エネルギー)を示してある.また,ボルツマン分布から見積もられるS=2の状態のpopulationも書いている.例えば,90 Kという温度は,Cu-CHDではS=2が励起される100 K近くに達していてS-geometryの割合が多くなっているが,CPL-1ではS=2が励起される200 Kよりはるかに下の温度であり,まだH-geometryが多くを占めていると考えられる.そして,これら2つのPCPでの違いは,吸着ガス分子と骨格構造の相互作用の大きさの違いによると考えられる.Cu-CHDとCPL-1は細孔の大きさこそ似ているが,骨格構造の柔軟性に違いがある.ガスの吸脱着における粉末X線回折パターンの変化を見ると明らかなのであるが,CPL-1は細孔の形がいくらか斜めに変形(シアー)しながらガス分子を取り込むのに対し,Cu-CHDでは骨格構造はほとんど変化しない.つまり,Cu-CHDは骨格構造がどちらかと言えば堅く,吸着分子はホストの骨格構造の影響を受け難い.一方,CPL-1は吸着ガス分子と骨格構造の相互作用が大きく,骨格構造を変形しながらガス分子を取り込んでいると理解できる.そのため,CPL-1では酸素分子ダイマーの配向を変えるために,より大きなエネルギーが必要であると考えられる.21)6.ナノ細孔内の水素分子水素は次世代のエネルギー源の1つとして大変注目されている.近年では水素ガスを利用する燃料電池自動車が販売され,水素ガスステーションも作られている.水素エネルギーの普及に向けて必要不可欠な利用技術として水素貯蔵がある.水素貯蔵合金のように物質に水素を吸わせる方法としてPCPへの期待は大きい.その理由は,金属以外の構成元素が炭素や酸素などの軽元素であるため軽量である点や,水素を取り出すためのエネルギーが水素貯蔵合金に比べて少なくてすむ点などである.PCPの研究が盛んになり始めた頃,水素貯蔵は大きなターゲットの1つであった.アメリカのDOEも目標スペックを定め,大量に水素を貯蔵するPCPの設計・合成が精力的に行われた.われわれは水素吸着性能が高い物質を得ていたわけではないが,水素分子がどのような状態で取り込まれているかを知ることが大変重要であるとの認識から,CPL-1における水素吸着構造解析を行った.当時は,酸素分子の観測の後,いろいろなグループがPCPの水素吸着の研究を行っていた.われわれの水素吸着構造解析と同じ頃,Yaghiらのグループは中性子の非弾性散乱を用いて,PCP細孔内の水素の結合サイトを調べた論文を発表した.22)彼らは非弾性散乱スペクトルの温度変化から配位子の部位に優先的に水素が吸着されることを示していたが,彼らの実験は10 Kという低温で行われたものであった.これは水素の沸点をはるかに下回る温度であるため,水素は細孔内で凝集している可能性がある.一方,われわれは窒素吹付け低温装置の90 Kほどの温度で,水素が間違いなく気体状態であろう条件で行った.さらにわれわれはYaghiらのPCPに比べてずっと小さな細孔をもつCPL-1を利用して行い,水素分子が細孔表面のどの部分と相互作用するのかをX線構造解析により直接的に観測した.23)図7に水素分子を吸着したCPL-1のMEM電子密度分布を示す.吸着水素分子と細孔表面原子との距離を見ると,水素分子は,銅イオンと配位結合したカルボン酸の酸素原子に最も近接していることがわかった.しかし,水素分子と酸素原子の間に電子密度の重なりは観察されず,水素分子は物理吸着していることがわかった.この酸素原子と銅イオンの間には電場勾配が生じていると予想され,電場勾配のある部分に水素分子が親和性ももつことが示唆された.PCPの構造上,金属イオンと酸素原子の配位結合はすべての物質に見られるが,それが,ゲスト分子がアクセス可能な場所にあるかどうかは重要と考えられる.一方,水素分子の位置に着目すると,水素分子は細孔の中央ではなく,細孔壁に少し寄った位置に吸着していることに気づく.酸素吸着の場合は,細孔の中央に吸着されていたが,水素分子の大きさはCPL-1の細孔に比べて小さく,細孔表面のくぼみの部分にうまくはまるように吸着しているように見える.これは,水素分子が細孔表面からのファンデルワールス力を最も効率よく受けることが78日本結晶学会誌第59巻第2・3号(2017)