ブックタイトル日本結晶学会誌Vol57No4

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概要

日本結晶学会誌Vol57No4

岩崎博先生を偲ぶ能になったKEK・PFでの放射光を駆使し,P,As,Sb,Biの高圧相の構造を次々に決定しました.その結果,V属元素の構造系列の全体像を明らかにし,関連する分野の研究に大きな刺激を与えました.さらに,先生は構造物性用結晶分光型4軸回折計の設置を,原田仁平先生(名大),寺内暉先生(関学大),藤井保彦先生(阪大)とともにPFに共同提案し,実現させました.最初の実施テーマの1つとして,先生のグループからの提案である「放射光の異常散乱現象を利用して3元合金の短範囲規則構造の解析」に取り組み,その解析に成功し,合金研究への新しい道を拓きました.私は1976年4月から在籍しました名古屋大学工学部応用物理学科から1986年4月に筑波大学物理工学系に移り,研究室作りを開始しようとしていたときに,先生が6月よりKEK・PFの研究主幹として移られることをお聞きし,吃驚するとともに,先生から研究室作りをお聞きすることができるとともに,一緒に研究をさせていただくことをおおいに喜びました.平日はPF運営関連のお仕事で多忙な先生でしたが,土曜日の午後には自由な時間をもつことができましたので,時々先生のお部屋に伺い,構造解析の重要な論文の講読を行いました.そして,興味のある話題がありますと,関連した研究者との討論を通じて,PFにて共同研究に至ったケースがあります.例えば,奈良女子大学の松尾欣枝先生と一緒に取り込みました実験結果は“X-ray diffuse scattering fromb’-AgZn alloy”という題目でJ. Phys. F: Met. Phys.(1988年)に掲載されました.その後,1991年4月から3年間,施設長に就任し,放射光の利用研究の発展を目指して,施設・装置の整備,共同利用方式の改善などに著しい貢献をしました.KEK退官後の1994年からは立命館大学の物理学科・光工学科の教授として,我が国最初の大学独自の放射光源を導入,立ち上げに中心的役割を果たし,SRセンターの運営を軌道に乗せました.この光源に用いて「放射光波長変調回折法」という新しい研究法を創案し,結晶構造因子の位相決定に応用するなどの成果を挙げました.ところで,2000年頃,私の研究室では貴金属元素と3d遷移金属の二元および三元合金系の規則-不規則合金の構造学的研究を重点的に実施していまして,新しい結果の解釈には論文発表の前に,必ず先生にご意見を伺いました.先生は10年間の立命館大学の勤務後の2004年4月以降,東京のご自宅にお戻りなさるとお聞きしましたので,“もしお時間がおありであれば週1回開催の研究室セミナーに参加して下さるよう”にとお願いしましたところ,快諾して下さいました.当時研究室には日本人に加えて,数名の外国からの大学院生,研究者も在籍していましたので,私の指導に手が回らないときには,先生日本結晶学会誌第57巻第4号(2015)は彼ら・彼女らの発表に適切なるご意見を述べて下さるとともに,研究の指導もして下さいました.先生はKEKおよび立命館大学における重要な任務から解放され,合金をはじめとする各種物質の構造解析のホットな結果に触れられることを非常に楽しんでいました.セミナー終了後の昼食時には,先生の今までに歩んできましたさまざまな経験を伺うとともに,奥様とご一緒にJR東日本発行の大人の休日倶楽部パスを利用しての東北地方への旅やお孫さんとともに鉄道の旅のことをお聞きしました.さらに,研究室恒例行事の筑波山登山には参加して下さり,神社から徒歩で登られ,学生達には遅れましたが,インド人研究員と一緒に頂上に到達したときは拍手でお迎えし,ワインで乾杯しました思い出があります.筑波大学にお越しの7年の間,先生と合金の構造に関する8編の共著論文を発表しました.その中でも,特別に興味をもって下さったことは,中国からの留学生の学位論文のテーマでありますMn濃度および温度に依存してさまざまな規則構造を示すPd-Mn合金の相の安定に関する統一的な見解に関する研究です.この研究の歴史は古く,1960年代には渡辺先生の電子回折を用いた研究およびハンガリーのKadar博士のX線を用いた研究があります.10年前には,電子回折法にて三井田陸郎先生(諏訪東京理科大学名誉教授)が相図を決定していまして,研究が約半世紀に及んでいます.先生は今までの経験を基に,ご自身で開発しました相の安定性に関するプログラムを用いた計算により,大学院生のX線回折実験の結果を検証して下さったことは強く印象に残っています.さらに,2010年4月から1年かけて,㈱アグネから発行されています雑誌「金属」に題目「固体のミクロ構造とゆらぎ」の解説記事を共著で執筆しました.先生はこの記事を基に,教科書を出版したいとの計画をおもちでした.しかし,その後,先生は体調を崩され,つくばに来られる機会はほとんどありませんでした.今年の年賀状には気になる文面がありましたが,2月下旬に奥様からのお電話でお亡くなりになったことをお伺いし,声をなくしてしまいました.先生は研究・教育に加えて,学会活動に熱心に取り組まれ,本学会の評議委員を継続して務め,1991年には会長に就任して学会の発展のために尽力しました.また,1984年からは8年間,IUCr発行のJournal of AppliedCrystallographyのCo-editorを勤め,優れた論文発表を促進する努力をなされました.また,1992年度日本放射光学会の会長として,結晶学研究への放射光利用の振興,深化に尽力されました.上記のように,岩崎博先生の研究活動ならびに学会活動は我が国の結晶学の発展に著しく寄与しており,ここに謹んで哀悼に意を捧げます.(大嶋建一)251