ブックタイトル日本結晶学会誌Vol56No4

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日本結晶学会誌Vol56No4

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概要

日本結晶学会誌Vol56No4

岩崎準され,この人々はそれぞれ,その後の構造化学研究の第一線に立って重要な仕事を発展されてきておられます. 1980年に物性研の編成替えが行われて研究所は大部門制となり,結晶Ⅰ,Ⅱは廃止されて齊藤先生・細谷先生は凝縮系物性部門の所属となり, 1981年には齊藤先生が定年退職をされました.1981年4月に慶応義塾大学の工学部が改組されて理工学部に変わり,化学科が創設されました.この時,物性研を退官された齊藤先生が慶応に移られ,新天地での齊藤研が発足しました.当初の研究室メンバーは,先生のほかに1年前に東北大学から慶応に来ておられた伊藤正時助教授と,物性研で大学院研究を終えた大場茂助手でした.齊藤先生は化学科の主任教授として学科の発足・整備業務を担当され,学科の設備計画や化学科学生の教育などに尽力されました.先生は1986年に慶応を定年退職後,さらに化学科1期生が博士課程を修了する直前までの3年間を客員教授として勤められました.その人柄のよさ,ユーモアあふれる励まし,研究に対する厳しさなどで,多くの学生に慕われておられたというようにうかがっております.齊藤先生の数多い業績のうち特に重要な仕事としては,遷移金属錯体の絶対配置の決定と電子密度分布の研究が挙げられます.先生はまず大阪市大時代に, X線の異常散乱を使って〔Co(en)3〕3+の絶対配置を決定されました(1955年,enは二座配位子エチレンジアミンNH2CH2CH2NH2).実際には右旋性の(+)589-2{〔Co(en)3〕Cl 3}・NaCl・6H 2Oの単結晶を用い,コバルト原子による銅のKα線の異常散乱効果を利用して,この錯体の絶対配置をラムダ型と決定されました.また左旋性の同じ錯体についても同様の実験で逆の絶対配置デルタ型であることを明らかにされました.これは金属錯体としては世界最初の絶対配置決定です.引き続いて物性研時代には,エチレンジアミンを配位子自体が光学活性であるプロピレンジアミンに置き換えた錯体や, 5, 6, 7員のキレート環を含む錯体などの構造を決定されました.こうした一連の仕事によって,金属錯体の旋光能と絶対配置の間の経験則が確立されていったのです.遷移金属錯体の電子密度の研究は,物性研時代の1970年頃から始められました.精密測定用の単結晶自動回折計の導入により,結晶内のきわめて精密な電子分布図を得ることができるようになりました.錯体結晶中の,錯イオンの中心金属の周りの電子密度を積分して,金属原子に局在する全電子数を実験的に求めたところ,例えば[Co(NO 2)6]3+イオンでは中心のコバルト原子(原子番号27)の有効電子数が26.3であり,その電荷はほとんど中和されていて,錯イオンの電荷が中心金属原子の場所に局在してはいないなどの重要な結果が得られました.また,金属原子近傍に局在している電子密度の三次元分布の異方性を調べて, X線実験の結果から配位場中において分裂したd軌道の電子配置の有様を明らかにできることを示されました.それは分子軌道計算など,理論的な結果とも対応しました.これらは金属錯体の配位結合の仕組みや旋光性など物性の解明に不可欠な基礎データを提供したという意味で非常に重要な成果でした.このほかに齊藤先生は,物性研の長倉・井口研と協力して電荷移動型分子間化合物やラジカル塩の構造決定や結晶相転移の研究を積極的に進められたのをはじめ,いくつもの大学や会社の関連化学系研究室との共同研究や依頼解析の受け入れを積極的に行われ, X線構造解析の普及に心血を注がれました.慶応時代には,物性研時代に引き続いて行われた遷移金属錯体の電子密度分布の精密測定のほか,学内外の研究者との協力による各種金属錯体や有機化合物の構造決定,ゼオライトに吸着した分子の構造の研究などにも取り組まれ,幅広い成果を挙げておられます.これらの輝かしい業績に対し,先生は1967年に日本化学会賞, 1976年に朝日賞, 1981年に紫綬褒章, 1990年に勲二等瑞宝章, 1991年に日本学士院賞など,数々の受賞をされておられます.また1974~1975年に日本結晶学会会長を務められたのをはじめ,日本化学会欧文誌編集委員長や国際結晶学会の機関誌であるActa Crystallographicaの編集委員なども歴任され,学界に大きく貢献なさいました.先生は慶応義塾大学をおやめになってから何年かを経て体調を崩されて歩行困難となり,長い間療養生活を送られることになりました.最近は記憶も思うようにならず,ほとんど寝たきりの闘病生活を続けておられたようで,奥様も献身的な介護で非常にご苦労なさったようにうかがっております.研究室の齊藤先生はいつも真面目で,終生変わらず構造化学的な視点と信念を非常に明確にもち続けておられました.研究室を強力に統率しながら,技術上の細かいところでは助手,技官,院生などの「手下」を信用していっさい任せてくださった部分も多く,部下にとってはまことに有難い先生でした.慶応退職後は,宇宙における対称性の破れについての論文のフォローに関心をもって熱心に取り組まれておられました.本当にお幸せな研究生活でした.先生には,もう十分ご活躍いただきました.今はどうか安らかにお休みくださいますよう,ただ祈念するのみです.(岩崎準)278日本結晶学会誌第56巻第4号(2014)