ブックタイトル日本結晶学会誌Vol56No4

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日本結晶学会誌Vol56No4

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日本結晶学会誌Vol56No4

日本結晶学会誌56,277-278(2014)齊藤喜彦先生を偲ぶ日本結晶学会の元会長で,東京大学名誉教授の齊藤喜彦先生は,さる2014年(平成26年)5月12日,多発性脳梗塞のために逝去されました.享年93歳でした.齊藤先生は主にX線回折を用いて物質の原子配列・絶対配置・電子密度などの研究を強力に推進され,構造化学の分野で数々の優れた成果を挙げてこられました.先生は大阪府のご出身で, 1920年(大正9年)11月3日にお生まれになりました.第二次大戦中の1942年に大阪帝国大学理学部化学科を卒業され, 1945年に阪大理学部化学科助手となられました. 1949年に大阪市立大学に理工学部が発足した際に,化学科分析化学部門の黒谷寿雄先生の研究室の助教授に迎えられ,のちに工業物理化学部門の教授に就任なさいました.大阪市大時代の先生は,学生の化学教育に熱心に当たられるとともに,主として単結晶X線回折法によるコバルト(Ⅲ)錯体の立体構造および絶対配置の研究に没頭されました.この間, 1954年に米国ペンシルヴァニア州立大学ぺピンスキー教授のもとに留学され,同大学の岡谷喜治先生との共同研究で,異常散乱を伴うX線回折像の表裏の反射強度の差をフーリエ係数としたパターソン関数(いわゆるPs関数)について有名な論文を発表しておられます.1960年に先生は全国共同利用研究所の東京大学物性研究所に移られました.物性研は1957年3月に開設され,1961年までに当初計画に従って20の研究部門が設置されました.その中に,回折結晶学の関係で結晶Ⅰと結晶Ⅱの2部門が含まれていました.結晶Ⅰ(三宅静雄教授,細谷資明助教授)は1957年度に発足し,主として回折結晶学の物理的な基礎研究を行っていたのに対し,結晶Ⅱ(齊藤喜彦教授,星埜禎男助教授)は1960年に発足し,構造化学・構造物性的な分野の研究を担当していました. 1960年頃の物性研は港区六本木の地にあり,もと東京歩兵第3連隊の本館兼兵舎の建物の一部と,本館の向かいに新築された実験棟を使っていました(本館の大部分は千葉市から移ってきた生産技術研究所が使用).その後, 2000年に物性研は千葉県柏市に,また生産技術研は目黒区駒場に移転し,今は旧六本木キャンパスの両研究所の跡地に国立新美術館などが建っています.結晶Ⅱ部門の1960年度初期からのメンバーは齊藤教授,星埜助教授と,齊藤研の初代の助手だった私の3人いわおで,数カ月遅れて米国から帰国された渋谷巌さんが星埜日本結晶学会誌第56巻第4号(2014)齊藤喜彦先生研の助手に就任されました.物性研の最初期は結晶Ⅰ,Ⅱ両部門とも少人数で,発足後しばらくは2部門合同のゼミが相当頻繁に開かれていました.両部門のスタッフのほか東大教養学部,早稲田大学,上智大学などからも随時参加者があり,なかなか活発なゼミでした.お蔭で化学系の人間も物理的結晶学に触れる機会が多く(その逆も),私たち若手には非常に有益だったと思います.結晶Ⅱ部門の中では,齊藤教授の研究室と星埜助教授(当初)の研究室とは,互いに高い独立性を保ちながら,技術的な部分では協力して仲良くやっておりました.星埜先生は,のちに物性研での中性子回折実験の研究計画を中心となって推進され, 1970年に中性子回折部門が創設されると,その部門の担当となられました.齊藤研の発足後2, 3年目頃からはX線装置などの測定機器も増え,東大大学院理学系化学専攻課程の学生や,関係の深いいろいろな企業・大学から研究者を受け入れて,研究室もにぎやかになってきました.岩崎が1966年に退職後,スイスにおられた鉱物学がご専門の丸茂文幸さんが助手に就任され, 1972年に丸茂さんが転出された後は,星埜研の技官だった佐藤昭一さんが齊藤研の助手に移籍されました.また研究室には太田裕子さん・岩田深雪さん・今野美智子さんなどが教務職員や技官として在籍し,一緒に研究活動に参加しておられました.このような環境の中で回折結晶学的手法を駆使できる若い研究者が多数養成277